スキルを気にせずギタドラを楽しむ方法

スキルなんて飾りですよ。

と言ったら言い過ぎですが、今日はその辺りに関する話題。

スキルがギタドラの全てではない

今作ではスキル要素が前面に押し出されていますよね。ネームカラーが変わるたびに可愛い女の子のちょっとエッチな姿が見れるので、おじさんはとても喜んでいます。

あの画像結構ちゃんと力が入っていると思いますし、その点もとても喜ばしいです。誰かが真剣に作ったものはいつだって美しいし、誰かが手抜きして作ったものはいつだってイマイチなのです。

しかし、スキルがギタドラの全てかというと、決してそうではありません。結局のところは、レベルと達成率をかけた数字を、高い順から50曲並べているだけですよね。

50曲で事足りるわけではありませんが、スキルだけを見てギタドラをやるのなら、1人のプレイヤーにとって必要な曲と譜面は、まぁ100から150ぐらいあれば十分ということになってしまいます。

ギタフリには5688、ドラマニには2888もの譜面が収録されているのに、スキルだけを気にしていると、ギタドラを3%も楽しめないことになってしまいます。いいですか、これが数字のマジックというやつです。騙されないように。

数字にはいつだってマジックが潜んでいます。所詮それはスカラー量です。世界に存在する事象を評価する様々な物差しの中で、人間にとって一番扱いやすいものだから、あたかもそれが全てかのように思われがちというだけです。

譜面のレベルは絶対ではない

今作では楽曲のレベルが刷新されました。プレイヤーのリザルトを参考にして調整したそうで、今までよりも全体としては改善されていると思います。

しかし一部のマニアがひたすらやりこむ譜面(Sayの赤G)や、スパランの練習にちょうどいい譜面については、むしろ逆方向に数字が動いています。また、新曲のレベル設定に関しては全く信用がなりません。

さらには作品中にもレベル調整を行う場合があるということで、事ここに至ればもはやスキルは絶対的な評価値などではなく、あくまでめやすと考えた方が精神衛生上よろしいでしょう。

そもそも新曲が出る際にレベルを設定するのはスタッフのうちの誰かなわけですが、音ゲー曲のレベルを人間が適正に決めることなんて土台から不可能です。

まず、曲をフルコン難度で見るか、クリア難度で見るかということによって、全く評価の基準が変わってきます。冥やゴビヨの例を出すまでもないでしょう。

基準を明確に定めたとして、5688もある譜面全体を俯瞰しながら新しく追加される曲のレベルを適切に定めるなんて、誰にできる芸当でしょうか?

俺は以前、友人を10名ほどSkypeで集めて、当時のレベル9台の曲のフルコン難度表を作ったことがあります。非常に楽しい作業であり、夜な夜な集っては議論を交わしましたが、個人差のある意見をまとめてそれなりに納得のいく表を作り上げるまでには10日以上かかりました。

10日以上かかって作り上げたものはまずまず正確だと自負していますが、それでも今見直すとちょっと怪しい箇所は結構あります。ランカーが何人も集まって9台の譜面に限ってフルコン難度に絞って評価する場合ですら、そのくらい大変なんです。

ゲームですからめやすとしてのレベル設定は必要なのですが、あくまでめやすですから、その集合体であるスキルもめやすです。スキルが唯一絶対の指標であると考えるには、その計算式に潜む欠陥は大きすぎると言わざるをえません。

話は変わりますが、ギタドラにおいては隠し曲の解禁も、スキルとの関係が深いです。

新曲が出た際、まず気にされるのは詐欺か逆詐欺かということ。理論値に絡まない曲であれば、上級者のため息が聞こえてくる。スキルに絡む曲は絶対に解禁を逃すわけにいかないから、どんなにめんどくさくてもクレジットを入れなければならない?

俺たちはスキルポイントの奴隷ですか?スキルポイントを上げるためにギタドラをやっているのですか?俺にとっては答えはNOです。ギタドラが楽しいからギタドラをやるのです。

スキル上げを楽しめているうちは、そのことに疑問を感じる必要は全くありません。楽しくスキル上げをして、楽しくギタドラをすれば良いのです。しかしスキル上げが楽しくないならば、そんなものはしばらく放り出しておけば良いのです。

自分の腕を信じよう

とは言うものの、大多数のプレイヤーにとってスキルはとても重要な数字だと思います。これからギタドラを上手くなっていくプレイヤーからすればそれは大事な道しるべだし、数字が上がれば嬉しいのは当たり前。

スキルが全てではないということさえ気づいてもらえれば、この記事を書いた意味は十分あります。ギタドラにおいて一番重要な要素が何か?と聞かれた時に、「スキルでしょ」と答えることに関しては、特に異論を唱えるつもりはありません。

しかし、スキル上げに疲れて、それでもなおギタドラを遊びたい時には、スキル以外にギタドラをプレーする理由が必要です。「楽しむこと」と言葉で言うのは簡単ですが、正確に扱うと音の出るおもちゃを単に楽しむだけであれば、それこそ楽器をやればいいという話になってしまいます。

本質的に音ゲーが楽器よりも優れている点は、明確に数字で自分の腕が表され、成長を実感したり、他人と競ったりできる点だと俺は思っています。だから俺は音ゲーを続けていて、もしスキルもスコアもギタドラから消えたとしたらたぶんギターを始めています。

話が逸れましたが、ギタドラを楽しむ際にそれだけ重要な「スキルという数字の要素」に疲れた時、どうすればよいか。

自分の腕を自分で評価することです。

スキルが0.01ポイントも伸びなかったとしても、詐欺曲の達成率が2%伸びたら、それはあなたにとって立派な成長です。TOCCATAが削除されてスキルが10下がったとしても、あなたの腕が落ちたわけではありません。

スキルに絡まなかった時だって、ギタドラはいつだってリザルト画面によって俺たちを評価してくれています。そこが楽器とは違う点であり、音楽に取り組むにあたって気楽さと厳格さを簡単に同居させられているという、絶対に楽器では真似できない音ゲーの非常に優れた側面です。

その一方、他のゲームにはない音ゲーの魅力は、頑張った結果が自らの身体能力の向上に繋がるという点です。

もちろんどんなゲームをやっても、何らかの身体能力は向上すると思います。俺がここで言いたいのは、ガチャを700回回しても、FPSで700人を倒しても、格ゲーで700勝しても、二の腕は太くはならないでしょうが、Lightningに700回粘着すると明らかに二の腕が太くなるという事実です。

俺がグランプリをやりこんでいた頃は、どんなに自己べを出したとしても、遅延ランカーからすれば一瞬でねじ伏せられる数字に過ぎなかったし、遅延を知らない人からすれば何の価値もないただのエクセでした。

それでも、自分からしたら会心の記録を出して、家に帰って湯船につかって、じーっと自分の両手を眺めている時、それが俺にとっての何よりの至福の時間であり、趣味としてギタフリを続ける一番の理由でした。

たとえギタフリが無くなっても、ギタフリが上手かった俺の両腕は残って、その両腕と一緒に俺は一生を過ごしていける。自分の体を使うゲームの全てに共通する喜びですが、音ゲーにおいては特にその要素が顕著だと思います。

ずいぶん本題から離れましたが、まぁそういうわけで。自分のギタドラの腕前は、自分自身で評価しましょう。

中級者にとってそれは難しいことかもしれませんから、スキルに血道を上げるのも良いと思います。初心者は毎日ノーツを取れるようになっていく過程を楽しめば良いです。上級者はせっかくそれだけ上手いのだし知識もちゃんとあるわけだから、自分が楽しめる方法を自分で考えましょう。ランカーはだいたいニ郎を食べているかエッチなことを考えています。ちなみに私は胃が弱いのでニ郎には行きません。

おしまい。

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