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皆様、大変お久しぶりでございます。
気がつけば、私がこのサイトを放置すること3年。
その間、色々なことがありました。
今日は久々に筆をとり、つれづれなることについて語りたいと思います。
……執筆ツールの使い方を完全に忘れていてヤバいです。
第2回GuitarFreaks Top16’s Playoff自然消滅のお詫び
まずは、謝罪から入ります。
2017年、The 6th KAC予選のトップ16プレイヤーを招待し、トーナメント戦にて覇権を争う予定だった第2回GuitarFreaks Top 16’s Playoff。
運営にあたっては選曲管理、プレイヤー紹介のページ作成、動画作成、テーマソングの作成など、様々な方に多大なご協力をいただき、1回戦の全8試合までをお届けすることができました。
しかし、2回戦を始めるにあたり、私から各選手たちに、試合開始のアナウンスが届くことはありませんでした。
完全に気力が折れてしまい、プレイヤーに連絡を入れて、試合進行を管理することが不可能な状態だったのです。
当時の状況について、説明させていただきます。
最初にことわっておきますが、これはただの言い訳です。この大会が自然消滅に至ってしまったのは完全に私の怠慢のなすところであり、参加者、協力者、観戦者の皆さんに、心よりお詫び申し上げます。
2017年4月。私は、医師として働いていました。
3年間の初期研修を終え、専門科に配属され、主治医として患者さんについての全責任を負う一人前のドクターとしての第一歩を踏み出したところでした。
研修医として働くのと、主治医として働くのでは、意味合いが全く異なります。
研修医は、極端に言ってしまえば、診療について何の責任も負わない存在。
頑張れば頑張っただけ患者さんに利益をもたらすことはできますが、何も頑張らなかったとしても、他のスタッフが何とかしてくれます。
対して、主治医は本当に、患者さんの全てを診る存在。
体調管理、メンタルの管理、診療日程の管理に始まり、検査、診断、投薬、紹介、入退院の判断など全ての決定権がその双肩にのしかかってきます。
倍増では済まない量の仕事が襲ってくる中で、そもそもプレーオフの運営をできると思ったのが間違いでした。
それでも、6月までは、何とかごまかしごまかしして、試合の結果だけは皆さんにお届けすることができていました。
それができなくなったきっかけは、主治医として受け持っていた患者さんが、初めて亡くなったことです。
亡くなる直前の仕事量からして、筆舌に尽くしがたいものでした。生命の瀬戸際で戦うために、連日病院に泊まり込み、治療の選択肢を必死で検索し、夜中に治療室を移動し、命を繋ぐためのあらゆる手技を試す。
外来や他の患者さんの入院管理と並行しながらそれをこなすわけですから、1日が24時間あっても足りませんでした。
そして、治療の甲斐なく、患者さんは亡くなりました。
亡くなる患者さんが出ること自体は、医療の必然です。当時の私にできたことは、全て尽くしました。ご本人のキュアと、ご遺族のケアの両面について、できる限りのことをしたとはっきり言えます。
しかし、私が本当に十分な医療を行えていたかというと、少し話が変わります。
所詮は主治医として1年目の若造。上級医の先生の最大限のバックアップの元に治療は行われましたが、方針を最終的に決定したのは私です。
後から振り返ってみると、あの時のあの選択肢は、間違っていたんじゃないか。もっと良いタイミングで、良い治療を試すことができたのではないか。
担当したのが私でなければ、もしかしてこの患者さんはあと1週間、あるいは半月、あるいは1ヵ月、もしかしたら半年、ひょっとして数年間、生きながらえることができていたんじゃないか。
その疑問を少しも否定できないぐらいに、私はまだ未熟でした。
その考えに囚われた時に、プレーオフの運営を、続けられなくなりました。
もっともっと、勉強に時間を割かないといけない。そういう思いでした。
しかし。正直に言います。何とか運営を行う、時間自体はありました。
ことここに至っても、私の中で、『KAC優勝』という夢を諦めることはできませんでした。
The 7th KACに向けて腕前を維持するために、重篤な患者さんを担当していない時期に限り、週3時間程度のゲーセン通いは続けていました。上記のような殊勝な疑問を自らに投げかけておきながら、自分だけのワガママのために費やす時間は、きっちり確保していました。
ただ。重篤な患者さんを担当していない時期に限り、全ての時間と体調を切り詰めて、休日も含めて閉店ギリギリまで時間を使って、それで何とか捻出できたのが、平均して週3時間程度という時間でした。
それが、私が私としての生き方を保てる、ギリギリのラインでした。
批判は甘んじて受けます。この生き方を快く思わない人がいるだろうことも、わかって書いています。これが私です。
上記が、ことの顛末です。
本気で死ぬ気で最後まで大会を運営しようと思えば、可能でした。それができなかったのは、自分のワガママよりも大会運営の優先度を下げた、私のエゴによるものです。
本当に、申し訳ありませんでした。
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