闘病生活⑤ ~退職と、2度目の入院~
2018年8月。私は職場復帰を果たすため、上司との相談に赴いていました。
まずは週一の外来から復帰し、様子を見て勤務日数を増やし、大丈夫そうであれば入院患者さんの担当に入っていく。
そういう風に方針が決まり、帰宅して準備を進めていた私ですが。
大きな失敗が、一つありました。
精神病院で処方された、抗精神病薬。その服用を、6月ごろから中断してしまっていたのです。
理由は、副作用のためです。
抗精神病薬はよく効いており妄想症状はおさまっていたのですが、その代償として勃起障害に苦しめられていたのです。
抗精神病薬服用中の副作用には大きな個人差がありますが、その一つとして勃起障害はありふれたものです。
たとえ生きていたとしても、勃起できなければ何も楽しくない。
そう思った私は、薬の内服をやめてしまっていたのでした。ちなみにやめた後は、勃起できるようになりました。
そして、職場復帰のため何度か病院を訪れ、具体的な段取りを進めていた最中。
妄想が、再発しました。
今度の妄想は以前と同じく、『自分にはテレパシーがあり、念じれば女性を気持ち良くさせることができる』というもの。
それに加えて、『地球は今地球外生命体からの侵略を受けようとしているところであり、自分が念じたり、文章を書いたりすることによって、人類を破滅の運命から救うことができる』といったものでした。
実際に、『今地球上で暮らしている人類は皆、幸福に天寿を全うすることができる』というような文面を、紙に書いた記憶があります。
そしてその紙面を母親に発見され、再度精神科へ連れて行かれました。
2度目の入院。保護室に入れられた私を診察に来た先生の前で私が言い放ったのは、『僕は今、世の中を守ってより良くするためのルール作りをしているんです』という言葉。
1度目の入院より、悪くなっていると思われたことでしょう。実際この病気の経過として、再発すると階段状に症状が悪くなっていくということが知られています。
良くなる見込みが立たないということで、職場の病院からはあえなく退職が決まりました。
投薬によって少し症状が良くなり、自分がまた妄想に囚われていたことに気づいた私は、薬の副作用と、中断してしまっていたことを主治医の先生に伝えました。すると先生は、処方の内容を変更してくれました。2018年4月に薬価収載された、新しい薬でした。
その薬は私の体質によく合っており、効能をしっかりと発揮しながら副作用もなく、今日に至るまで飲み続けることができています。
新薬のおかげですっかり落ち着き、一般病棟に出ることができた私。
前回の入院時に仲良くなった5歳年上のお兄さんがその時も入院しており、またたまたま歳が若く症状が軽微な患者さんが多く入院していた時期であり、仲良しこよしの6人グループを作って毎日楽しく過ごしました。
病棟のホールで話が盛り上がりすぎて、看護師さんから注意されたほどです。1回目の入院とは違って焦燥感の症状もなく、スマホが使えず退屈なことを除いては2回目の入院はそんなに辛くはありませんでした。
病気の寛解と、2019年の生活
2018年10月20日、2度目の退院。
仕事も無くなったことだし、しばらくは何もすることがないので、ここぞとばかりに古くからの友人に連絡をとって旅行に行きまくりました。
高校で演劇部をしていた頃にお世話になったコーチのおじさんと食べ歩きの旅に出たり、兵庫・京都・三重勢の元を尋ねて数年ぶりに栗坊さんと一緒の布団で寝たり、金ネに到達するのがやっとなことに愕然としながらギタフリを触ったり、充実した日々でした。
2019年4月からは、実家から歩いて通える距離にある学習塾で仕事を再開しました。
医師として仕事を再開する前に、より負担の少ない仕事に通って、社会生活を送れるかどうかを確認するためです。
結論から言うと、それ以来症状は再発しておらず、元通りの生活を送ることができています。
病に苦しんだ1年間は本当に辛いものでしたが、私は帰ってくることができました。
このように症状がおさまっていることを、『完治』ではなく『寛解』と呼びます。今後は再発しないように薬を飲み続け、寛解状態のまま生涯を送ることが目標です。
ぶっちゃけて言ってしまいますが、私につけられた病名は『統合失調症』です。恐ろしい精神疾患の代表格のようなものであり、耳にしたことがある人も多いと思います。
精神医学の権威であるピーター・ケネディ教授によると、生涯のうちに統合失調症に罹患する人は100人に1人と言われています。皆さんの想像よりずっと多い数なのではないでしょうか。
好発年齢は思春期から30歳までで、就業年齢者の人生を大きく狂わせるため恐れられています。
この病気の症状は『陽性症状』、『陰性症状』、『認知機能障害』に分かれます。
陽性症状とは、妄想や幻覚など、ありもしない考えや感覚を知覚する症状。
陰性症状とは、感情鈍麻や思考の貧困、自閉など、感情、思考、意欲に関わる障害。
認知機能障害とは、記憶力、集中力、判断力の低下のことです。
私の場合は陽性症状が非常に強く出た型で、いくつかの病型の中でも『妄想型』に分類されます。予後は他の病型に比べると良いと言われています。
統合失調症には前駆期と呼ばれる期間があり、この時期には精神的な不調に襲われ、学校を休んだり人を避けたりするようになり、長い人では数年に及ぶそうです。
私は大学時代、ほとんど引きこもりのような生活を送っていたのですが、ひょっとしたら統合失調症の前駆期であったのかもしれません。
前述のケネディ教授によると、この病気にかかった人のうち20%は回復し、再び悩まされることはない。30%の人には再発エピソードが見られるが、長期かつ良好な寛解が得られる。
しかし、残りの半分の患者では症状が持続し、全体の25%の人たちには、長年に渡り重篤な障害が見られる。
私は、再発したものの良好な寛解を得られている30%に運良く入りましたが。
50%の確率で、私が私の人格を再び手にすることはなかった。コインを投げて裏が出ていれば、私の頭脳は永遠に失われていた。
そう考えると、本当に恐ろしいことです。
結婚、再び岡山へ
2020年2月22日、私は入籍しました。
相手は高校時代3年間同じクラスだった同級生で、1年生の時には一緒に級長をやっていたこともある女性です。
頭脳明晰な人で手堅い仕事についており、病気を抱え、バイトのような身分で働いていた俺と一緒になることを受け入れてくれた優しい人です。
結婚に伴って学習塾での仕事をやめ、岡山へ移住。
今私は、岡山市内のとある病院と、学習塾を兼任して働いています。決して無理な勤務形態ではなく、どちらもパートのような感じで気楽に働いており、毎日3時間はギタフリができるような生活を送っています(笑)
つらく苦しい闘病期間を乗り越えて、今の私はとっても元気です。
大切な人と一緒になり、趣味に使える程度のお金を稼ぎ、余暇の時間はたっぷりあり、小説書きという新しい趣味も得て、ワークライフバランスはここ10年で最高と言える状態です。あ、家事は主に私がしてますよ。
このサイトと、プレーオフの今後の展望について
このサイトを放置してしまっていたのは、これまでに書いたような様々なことが理由だったわけですが、それ以外にも理由があります。
それは、大学時代に私に刻まれたトラウマです。
1回生の時医学部バスケ部に所属していた私ですが、3つ上の学年に、非常に苛烈な物言いをする先輩がいました。
「死ね」「ボケ」「カス」は何回言われたかわかりませんが、それ以上に私にとって辛かったのが、「お前の話は面白くないから喋るな」と言われたことでした。
何か意見を述べたり、雑談をしようとしたりしても「黙っとけ」と口をふさがれ、そのくせ話題が途切れた時には「おい、何か面白い話題無いんか」とこちらに話を振り、一生懸命に発言すると、「やっぱり面白くないなぁお前」と嘲笑う。
高校時代までは非常に快活で饒舌だった私が、大学時代以来何かを喋るのが苦手になった理由がここにあります。
その時以来、自分が創作した文章についても、自信を持つことができなくなりました。
このサイトで書いた文章についても、面白くないんじゃないかと思い込み、後から見返すのが憚られる思いがあった。それが、3年間もサイトを放置していた一因です。
転機となったのは、第3回プレーオフの開催についてTwitterで言及した直後にかかってきた、栗坊さんからの電話です。
栗坊さんづたいに、プレーオフの運営への協力を申し出てくれた子がいたのですが。
その子や、栗坊さんから、『あのサイトの記事よく読んでました!』と、賞賛の言葉をいただいたのです。
それで久々に自分の記事を読み返してみたら、まぁ面白いこと面白いこと(自画自賛)。
ハーメルンに投稿している小説の方もなかなかの好反響をいただいていて、やっと私は自信を持てました。
私の話は、面白くなくなんかないと。あの時間違っていたのは、あの先輩の方だったと。
自信を取り戻すまでに、13年かかりました。
上記の経験を経て、たとえどんな理由があろうとも、「黙っとけ」は、人に対して言ってはいけない言葉だと私は結論づけます。
発言権の剥奪は、基本的人権の剥奪に等しい。
ぎるたんの不思議発言に対して「黙っとけ」という空気がランカー間ではお決まりになっていますが、正直なところ私は、あの空気が好きではありません。
仲良し同士でのことであり、彼が何とも思っていないならいいのですが、その実傷ついてはいないだろうかと心配に思っています。
不思議発言は不思議発言として受け止めた上で、適切なツッコミをするというのが健全な人間関係ではないかと私は思います。
やや話が逸れましたが、そんなわけで、今後はこのサイトの運営を精力的に再開していきたいと思います。時間もありますし。
で、第3回プレーオフについて。
今年、コロナの影響でThe 10th KACが開催されるのかどうか、非常に怪しいところありますよね。
ワクチン開発が間に合って劇的に患者が減少でもしない限り、KACは開催できないんじゃないかと私は踏んでいます。
もし、The 10th KACが開催されなかった場合。あるいは、開催されたとしても、The 8th KAC以前のように、予選通過枠が4枠しか設けられなかった場合。
第3回GuitarFreaks Top 16’s Playoff、やります。
今度は途中で力尽きないように、ちゃんと協力者をたくさん集めてやります。10人いれば、何が起きても何とかなると踏んでいます。
KACが中止となった場合は、予選から含めてこのサイトでやらなければなりません。
自己申告されたスコアを自動で集計し、ランキング形式にする仕組みの構築が必要です。
私はITにはあまり強くないため、システムを構築できる協力者の存在が必須です。
しょごちゃん、頼んだ。
なおこの記事を書いている時点でしょごちゃんにアポはとっていません。
というわけで、無条件に開催できるわけではなく、開催するためにはいくつかのハードルを乗り越える必要はありますが。
きっと、開催できる。根拠もなく、今私はそう思っています。
The 10th KACが、The 9th KACと同じような形式で無事開催された場合は、たぶんプレーオフはやりません。たぶん。わからない。ひょっとしたらそれでもやるかも。夏ぐらいとか。
まぁ、みんなの気持ち次第です。
そして今私には、プレーオフに関する、さらに遠大な野望があります。
それは……『賞金制』の、導入です。
文章もだいぶ長くなってきたので、これに関しては、次の記事で語ることにしましょう。
-追記- プレーオフ賞金制に関連する記事は、一度非公開とします。
既にお読みいただいた方は、未来がどうなるか楽しみに待っていてください。
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