続・ギタフリおじさんの長い話①

さてさて、今日からはギタフリおじさんの長い話の続編をお届けします。

『ギタフリおじさんの長い話』は私が今までで最も力を入れて書いたと言っても過言ではない12002字の大作で、私がギターフリークスを始めた高校1年生の夏から、KAC2012で起こったできごとまでについて語っています。

かなり面白い記事だと自負しているので、未読の方は先にそちらからお読みくだされば嬉しく思います。

今回はそれと多少オーバーラップするところがあるのですが、KACについてのお話を中心としながら、初代XGからネクステージまでの間に起きたできごとについてだらだらと語っていきます。

なにぶん昔のできごとも含まれるので、多少の記憶違いはあるかもしれません。おじさんの回顧録としてお読みください。どうぞよろしくお願いいたします。

初代XG

GuitarFreaks & DrumMania XGの稼働日は、2010年3月10日。

えっ、もう10年以上経つの?

前回の記事で書いた通り、プレイヤーたちは様々な思いを抱えながらその日を迎えた。

新しいゲーム性に対し、ワクワクとドキドキを胸一杯に抱いて初クレジットを投入した者。

期待半分、不安半分でXGへの入り口をくぐった者。

Vシリーズでじゅうぶん満足しており、XGシリーズを触ろうともしなかった者。

俺はもちろんXGをめいっぱい楽しむ気でいた組だったのだが、この新シリーズの営業戦略には当初から多大な問題があった。

まず、1クレジットが200円固定であったことだ。マジで当時の経営陣頭おかしいんちゃうか。

3月25日には、V7が稼働。XGに収録されているのと同じ曲が遊べるのに、わざわざ倍の値段を払って慣れない新しいインターフェースで遊ぼうなどとは、よほどの物好きしか思わない。

しかも、ステージ設定も酷かった。当時のVシリーズは店によって1クレのステージ数を変えることができ、100円4曲設定+エクストラ+アンコールという店が主流だった。

MAXに設定すると100円5曲+エクストラ+アンコールで、かつロングの消費が1曲分という設定にすることが可能であり、蛍を5連奏すると100円で30分間遊べたのは古参プレイヤーなら誰もが知る話だ。

それに対して、初代XGのステージは固定制で『3曲』。エクストラ無し。3rdステージで特定の条件を満たすとアンコールに進出することができるが、条件は激ムズであり常人ではまず満たせない。

満たした上で進出できたKAISER PHOENIXの美しいムービーは、XG時代の始まりを象徴するものであり、到達できた者にとっては非常に印象的な記憶として残ってはいるのだが。

つまり、かたや100円で概ね5曲。かたや200円でほぼ3曲。価格設定に3倍以上の開きがあったのだ。

いくらゴージャスでデラックスな筐体に進化したからといって、この状態でXGをやりこもうなんて誰が思うだろうか。画面の前のあなただって思わないでしょ?

まぁ、俺はそんなことを意にも介さず湯水の如くXGにクレジットを注ぎ込み、稼働当初のスキル2位の座に座れていたわけだが。

そして、地域格差も酷かった。デラックス筐体にはあまりにも巨大な無駄なスピーカーが付属しており、ラウンドワンのような大型店舗にしか導入することができなかった。小さな店舗にも置けるようになるのは、白筐体が登場するGITADORA無印を待たねばならない。

バカでかいスピーカーつきのデラックス筐体。

少しはマシなSD筐体が登場したのは、XG2になってから。せめてこれが最初から開発されていれば。

画像は「ビートマニアシリーズ」リアルミニチュア展示館様からお借りしました。

俺のV6までのホームはゴールド同志社前店だったが、当然XGは入荷できず、河原町ラウンドワンに鞍替えすることとなった。知らないうちにゴールドが閉店してソフトバンクのショップに変わっていたのを目にした時には衝撃と哀愁を感じたものだ。

この金額と設置場所の両面の問題により、XG移行に伴ってプレイヤー数は激減した。あたりまえだのクラッカー。

そんな中、何故か河原町ラウンドワンにはデラックス筐体が2台も導入されており、それこそ俺は朝から晩まで粘着することが可能であった。

そして朝から晩までXGをやりこんでデータを収集し続けた結果。mixiのIDとパスワードを忘れてしまったため確認がとれないのだが、確か3月21日の日付の日記にて、既に曲別スコアに関するほぼ全ての要素を俺は解明していた。

基礎点、コンボ倍率はもちろんのこと、ワイリングボーナスとブーストボーナス、ロングノーツボーナス、ファイナルボーナスとフルコン・エクセボーナスについて解き明かし、ワイリング受付が1秒、ブースト区間が3秒ということについてもほぼ確信を得ていた。

流石にダブルブーストや空上げ(後述する)といった高等技術にはまだ手が届いていなかったが、この時点で遅延に関する基礎的な要素は全て揃っていたのである。

ちなみに、この辺の遅延の要素について全く知らず、知りたいという方は、SYOGO.Kさんによるスコアシステム解説およびディレイワイリングとはの記事をお読みいただきたい。

そしてその日記に対し、当時の遅延トップランカーであるセクターさんから、これまた造詣の深い質問と指摘のコメントがついていた。遅延ランカーの出足は早く、どこまでもスコアのことしか考えていない。

そんな初代XGで開催されていたイベントは、大きく2つ。『Jukebox』と、『X-Trial』だ。

Jukeboxは完全に単純な曲解禁のイベントで、主に旧曲移植ではあるが1クレジット終わるごとに必ず1曲解禁されていく。最大35曲のJukeboxが計4回開催されたため、100クレちょっとプレーするだけで100曲以上の新譜面が解禁された、今の解禁イベントと比べると考えられない高利率の素晴らしいイベントだ。

閑古鳥が鳴いていたXGではあるが、これが開催されていた時期だけは賑わっていた。無茶苦茶な価格設定さえ無ければ、そのまま定着するプレイヤーも多かっただろうに。

対するX-Trialは完全な実力性のイベントで、課題曲5曲の合計スコアを競う。そして重要だったのが、『X-Perfect』、通称虹パフェの存在だ。

最高判定がPERFECTと、他機種に比べて判定の甘いギタドラにおいて、イベントに限ってその上位の判定が存在した時期があったのだ。

その判定幅が何msecであったのかは、私は寡聞にして知らない。実際にプレーした者としては、おそらくデラのピカグレと同等か、わずかに甘い程度だったのではないかという印象がある。

そんなX-Trial、これまたうろ覚えではあるのだが、私は4回中2回で入賞し、2位と8位だったような気がする。

2位の時に1位だったのはおめがまっくすさんで、私は遅延のほぼ全容を解明してスコアを伸ばしていたにも関わらず勝てなかったため、おめがさんも遅延の深淵に辿りついていたものだとばかり思っていたのだが。

その実おめがさんはXGでの遅延の仕組みなど知らず、ただ何となく点が高くなるタイミングを体で覚えてギタコンを振っていただけだったらしい。それに加えて虹パフェ率が異常に高かったため、私は勝てなかったということを2年ぐらい経ってから知った(虹パフェの得点は通常パフェの1.2倍)。

本当に、世の中には色々な人がいる。

そんなX-Trialで上位に入賞したご褒美は、『隠し曲を他の人より早く遊べる』ということだ。

順位に応じてクラス分けがされ、上のクラスから順に隠し曲が時限解禁されていく。決して今のように、一度解禁を逃したら次回作まで渡って遊べなくなるなどというふざけたことはなく、あくまで日にちの差があるだけで、最終的には一番下のクラスの人までちゃんと遊ぶことができた。

実にまともな報酬設定であり、過去のイベントを見渡してもなかなか無い良イベントだったと私は思っている。

そんな中、XGの1クレ100円設定が解禁されたのはなんと2010年10月に入ってからのこと。稼働から実に半年間は、このゲームは100円玉を2枚入れないと遊ぶことができなかったのである。

本当に愚かな機会損失だ。この方針を決定した人間を締め上げてやりたいと今でも思っている。

そんなこんなの初代XG、スキルランキングの方は最初はカイトさんという変則プレイが得意な芸人タイプのプレイヤーが1位を死守しており、途中で当時としては圧倒的な運指力を誇っていたアイス(ロキ)さんに王座が移った。

そして最終的には、5ボタンに適応したぴこ君がスキル1位の座について、作品は終焉を遂げた。

私は2位の座から引きずり下ろされてからは早々にスキルレースから降りていたので、稼働終盤のランキング争いについてはよくわからない部分がある。ぴこ君ともりくんさんのデッドヒートになっていたというような噂は聞いているのだが。

機会があれば、その辺の歴史についてもインタビューしてみるのも面白いかもしれない。

XG2と、KAC2011

2011年3月、XG2が稼働した。Vシリーズはもうすぐ終了を迎えるだろうという情報も流れており、1クレ100円になって以降は、少しずつXGを触るプレイヤーは増加傾向にあった。

そんな中始まったXG2では、『グループ機能』が前面に押し出されていた。これまたうろ覚えの範囲で語ることになるのだが、確か10人を上限として仲良しグループを組むことができ、グループで様々な課題に挑戦し、スキンや曲などの隠し要素を解禁することになっていた。

これがなかなか面白く、グループ内で1人~3人の人間がめちゃくちゃ頑張りさえすれば、残りの人間はおんぶに抱っこでも隠し要素を遊ぶことができた。もちろん10人でそこそこ頑張れば解禁は楽勝であったし、お題そのもののセンスもそれなりに良かった記憶がある。

店舗対抗やグループ対抗のイベントも開催され、特に目立った改悪はなく、正当にXGから進歩したと言えるこの作品は、プレイヤー間ではそれなりの好感触をもって迎え入れられていた。

なんと言っても、1クレ100円で遊べるようになったことが大きい。

当時のグループチャンピオンシップの案内。

画像はFollow on Eternal様からお借りしました。リンクフリーとは書いてなかったので、問題があればご一報をお願いします。

そして秋口には、トプラン決定戦2008以来3年ぶりとなる全国大会、KAC2011の開催が告知された。

やっと来たか!!!

トプラン2008以来、公式大会だけを見据えて腕を磨いてきた俺が思ったのは、ただこの一言である。

当時は一次予選と二次予選があり、前者が9/29-10/23、後者が10/26-11/6だったらしい。えっ二次予選短。そんなんやったっけ。

一次予選は完全に空気だったので覚えていない。全国が北海道・東北、関東、中部、近畿・四国、九州・中国・沖縄の5ブロックに分けられ、各ブロック上位100名が二次予選に進むことができた。

そして二次予選の課題曲は、候補リストの中から一次予選通過者500名による投票で3曲が選ばれるという、なかなか粋な演出が施された。

リストに入っているKAISER PHOENIXだけは選ばれてくれるなと祈りながら、中難度曲に票を投じた俺。

500名による投票という関係上、超発狂が上位3枠に入る可能性は低いと踏み、期待をもって見守っていた。

そして選ばれたのは、『IMITATION TOUCH』、『Hunter~どうしても欲しいもの~』、『IMI』。

最後の曲!!お前ら完全に面白さ重視で選んだだろ!!

と思いながらも、俺は内心ガッツポーズをしていた。

これは完全に、『IMI上手い人決定戦』である。そして試しにやってみたIMI、当時の俺の全力のつまみオルタにちょうど速度がハマっており、いけんじゃね?との手応えを得た。

粘着の末、最終的にグレ8ミス6というなかなかの好記録を提出することに成功し、近畿・四国地区2位、全国でも4位という好成績で予選を通過できた。ちなみにこの時予選で全国1位だったのはすーちょ先生である。

この時の二次予選にはちょっとした揉め事も潜んでいたのだが、それについてここで詳しく言及はしない。

その時の経緯について俺が本人から詳しく話を聞いたわけでは無く、憶測で語ることになってしまうというのも多くは語らない理由の一つだ。

加えて、憶測で語ることになって申し訳ないが、あの時起こったことは少なくともあくまで不正などではなくグレーゾーンの戦略の話であり、俺は個人的に、それについては全面的に肯定的な立場だ。

W杯のポーランド戦終盤のパス回し戦略を許せるかどうかというような次元の話で、俺はそういうクレバーな立ち回りが好きだ。

俺のこの解釈が間違っていたらごめんね。

さて、迎えた11月26日。全国5ブロックの上位4名ずつ、計20人が雌雄を決する決勝の日、今のKACと大きく異なっていたのは、会場が全国5つのゲームセンターの特設会場であり、それぞれの地で午前中にブロック決勝が行われた後、1位となった5人だけがオンライン中継で繋がる最終決勝に進むというシステムだった。

近畿・四国地区のブロック決勝会場は、サードプラネット二条店。京都に住んでいた俺の準ホームであり、運良くホームアドバンテージを得ることができた。

当日朝、肌寒い中自転車をこいで会場入りした俺を待っていたのは、赤いカーペットが敷かれた特設会場と、ブロック決勝のルールに関する説明書、そして当日競うことになる予選通過者たちであった。

サープラ二条店。画像はbeatmania IIDX ゲームセンターマップ様からお借りしました。

以後数年に渡り、京都の地で比翼の友として一緒にプレーすることになるELCIE-G氏と、俺はこの時初めて出会った。すーちょ先生とも初対面。

V時代とは一新された、ランカーの勢力図。古参のトップランカーと新参者がちょうど半々ぐらいに入り乱れた全国ランキング、誰が勝つのか本当に楽しみな顔ぶれだった。

当時の二次予選ランキングはこちら。

ちなみに、初代XGの稼働当初、スキルランキング3位で俺としのぎを削っていたR_VOX氏がこの時の近畿・四国ブロック5位であり、補欠として会場のベンチに座っていたのだが。

何と俺と実家の距離が数kmしか離れていない上に、中学時代の部活が一緒でニアミスしていたことまで判明した。

あくまでその時のベンチが初対面である。同郷であることが判明した時の俺たちの盛り上がりっぷりと言ったらない。本当に世の中、どこに出会いが転がっているかわからないものである。

そんなブロック決勝の課題曲は、テンビリ紫GとライトンRyuリミックス赤G。非常におとなしい2曲のラインナップだが、これには裏話がある。

説明事項をぺらりとめくると、そこに書かれていた課題曲はなんと、X-treme Grade紫Gとゲーム愛紫G。それが傍線で消されており、表面の簡単な2曲が実際の課題曲として選ばれたのだった。

直前になって、『この2曲は難しすぎる』という判断に至ったのであろう。それにしてもレベルを下げすぎで、極端から極端にしか走れねーのかとは思ったが、俺にとっては良い変更であった。

スキルランキング9位と地力の高かったELCIE-G氏だけが、『こっちの2曲の方が良かったー』と嘆いていたのが印象的だ。

開場直前。筐体チェックとウォーミングアップを兼ねてプレイをする俺たち。

照明が反射して、画面がよく見えないことを申告すると、ライトを消してもらえた。KAC当日においては比較的柔軟・俊敏にスタッフの方々が対応してくださり、毎度毎度お世話になっている。

当日あんなに頑張ってるんだから、ドラムのポンコツ筐体もいい加減新しいのに変えてもらえばいいのに

俺はウォーミングアップでテンビリ紫Gをプレイし、一発でフルコンすることに成功した。本番もこの再現ができることを祈りつつ、控えのベンチに腰を下ろす。

そして始まった、KAC2011。各会場にゲスト・司会としてコンポーザーが散る形で、近畿・四国ブロックに来たのは……誰だったっけ。

泉さんが来ていたのは覚えている。何せイーパスにサインをいただいたため。あとの一人が誰だったっけと思い出せず、youtubeを見直したらショッチョーさんだった。ショッチョーさんごめん。

まぁそんな中、緊張の出番がやってきた。予選2位の俺は3番手。曲開始から順調にコンボを繋いでいくが……中盤のスカスカ地帯、単発の青でまさかのミスを出してしまった。

言い訳でも気のせいでもなくはっきりと宣言するが、この時のミスはメンテ切りである。決勝終了後に同じ筐体で遊んでいたのだが、タイピの序盤の青絡みのロングノーツが途中で切れた。

確かに青を押して、しっかりとピッキングを行った。にも関わらず、切れた。

この時俺と同じ2P側でプレーしていたLOSTさんも意味不明なミスを連発しており、1P側のすーちょ先生とELCIE-G氏には何の影響も無かったことも鑑みて、2P側の青が糞メンテだったことは間違いなく言える。

結局ミス2でプレーを終了し、マイクを向けられた俺が残したのは、「ちゃんと弾いたんですけどね……」という小声の一言。

メンテ切りという確信を得たのは終了後にタイピをプレーした時だったから、プレー終了時点ではそれ以上見苦しくあがくつもりはなかった。

実は前日にプレーした時点で、2P側の青が怪しいという微かな違和感は抱いていた。にも関わらず2P側でのプレーを選んだのは、確証を得られない程度のわずかな違和感だったこと、当時もっぱら2P側でのプレーに慣れていたこと、ウォームアップでテンビリをフルコンできたことが理由だ。

その日の経験を教訓として、俺はKAC2011から2012の間に、1P・2Pどちら側でも自信を持って100%の実力を出せるように訓練を行った。何事も、少しは自分の行動に責任がある。変えられないものを嘆くよりも、変えられるものを変えた方が建設的だ。

試合の経過の方は、4番手に登板したすーちょ先生が何とテンビリで当時の全1スコアを更新するエクセを叩き出し、会場を大歓声に沸かせながら圧倒的優位に立つ。

2位につけたELCIE-G選手がライトンリミで奮わないスコアを記録してしまい、俺はライトンリミでは4人中最高のスコアを残したものの、合計は惜しくもその下。すーちょ先生を残した時点で、最終決勝進出はほぼ彼の手中に落ちたと誰もが思っていた。

しかしながら。すーちょ先生のライトンリミのプレーは、誰も想像していなかったようなまさかの大コケだった。

あらゆる場所でミスを出し、最終的な合計点数は、ELCIE-G選手の下に8000点という小差で滑り込むものとなってしまった。

この時彼の身に何が起きていたのかは、彼本人しか知らない。憶測でものを言うならば、KACに潜む魔物に捕らわれてしまったのだろう。

曲が終わった後、スクリーンに映し出されたリザルト画面を見ながら呆然と立ち尽くし、数十秒間動くことのなかった彼の姿が網膜に焼きついている。

ちなみに俺がメンテ切りをせずにテンビリをフルコンできていれば、ライトンリミと合わせて最終決勝に進出していたのは実は俺だったのだが、それをとやかく言うつもりは毛頭無い。

フルコンできていたらできていたで、2曲目のプレー順、緊張感などは全く違ったものになっており、展開はまた異なっていたであろう。考えてもしかたのないタラレバだ。

そしてこの考えてもしかたのないタラレバを、感情論のレベルで本当に考える必要がないと割り切らせてくれたのは、最終決勝で見せてくれたELCIE-G氏の素晴らしいプレーだった。

最終決勝は前半・後半に分かれ、前半はBlue Planet赤GとEinherjar紫Gによって5人から2人にまで絞られるというルールだった。

ここでELCIE-G氏はブルプラを見事にフルコンしてみせ、エインヘリアルも難所以外をソツなく繋ぎきる圧巻のプレーで、2曲ともに全国トップ、ぶっちぎりの1位で後半の2人へとコマを進めてみせたのだ。

ブルプラフルコンは、当時の俺には逆立ちしても出せなかったリザルトだ。というか今でも怪しい。

彼はサープラ二条を狂喜の渦に包み込み、俺はその時心の底から納得した。『自分がメンテ切りをしたのは、この展開を呼ぶための神様の思し召しだったのだ』と。

心の底から納得させてくれて、この日の思い出を100%いいものとして残させてくれたことに、今でも彼に感謝している。

その時の前半戦の順位は、2位ぴこ、3位RAILGUN.、4位LAS.NET、5位GILという錚々たる顔ぶれ。ぎるたんにもそんな時代があったのだ。

そして逆ボーダーで落ちたRAILGUN.氏。常にスキル全一に近い突出した実力を有しながら、不運にまみれた彼のギタフリ人生はこの時が始まりであった。その詳細については、この続・ギタフリおじさんの長い話の中で徐々に、勝手に語っていこうと思う。

さぁ、最終決勝の後半戦。それぞれが、候補曲のリストの中から投げる1曲を決めるというルール。

ぴこ君が選んだのは、EXCELSIOR DIVE紫G。ELCIE-G氏が選んだのは、Chinese Snowy Dance紫G。

当時の最高峰に属する2曲の激突であり、決勝に相応しい華々しい対決となった。

両者選曲時に、『僕の最も愛するコンポーザーTAGさんの曲』というコメントに対し、『僕の大好きな泉さんの曲』と返してこの2曲を選んだのも泣かせる話だ。

そして迎えた、頂上決戦。1曲目のEXCELSIOR DIVE、スクリーンに中継されたのはぴこ君のプレー。

はっきり言って、繋ぎすぎだ。今のKACでも十分に通用するのではないかと思われるバケモノスコアを残し、ELCIE-Gに対して優位に立つ。

しかし、2曲目のChinese Snowy Dance。ELCIE-Gも意地を見せ、なんと中盤の発狂を全繋ぎしてみせる。

俺は今に至るまで、チャイニーズの発狂を繋いだことは1度しかない。これ2011年の話だよね?ちょっと二人とも未来に生きすぎてんよ~。

そしてぴこ君は、発狂こそ繋ぎきることはできなかったものの、ワイリングの多い後半を完璧に繋ぎきってみせ、ELCIE-Gの挑戦を正面からはねのけた。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=3780&v=NjBTC36mBPE

見たことのある人もない人も、二人の決戦は是非動画で見届けて欲しい。上記のリンクから、ちょうど二人の選曲インタビューの場面から見ることができる。

なお、特にワイリングの多いチャイニーズの方でよく見られる、上方向とは違って横方向に向いたワイリングマークにも注目だ。

これが、かの悪名高い『横ワイリング』。当時、多くのスコアランカーの頭を悩ませ、一部のスコアフリークの脳を熱狂させた、今は無き遅延の奥深く罪深い一要素だ。

その詳細については、KAC2012予選の地獄絵図を語る時に一緒に解説しようと思う。

さて、激戦の結果、栄えあるKACの初代王者はぴこ君とあいなった。

この後ほどなくして、ぴこ君が京都を訪れてくれる機会があり、ELCIE-Gも交えて遊んだことがあるのだが。

その時の裏話として、実はELCIE-Gがギターフリークスを本格的に始めたのは、ぴこ君のV時代の動画を見て感銘を受けたからだという感動的な話が残っている。

ギタフリに熱中するきっかけとなったプレイヤーと全国決勝の舞台で相まみえ、実力をぶつけ合う。プレイヤーとしてこの上ない、至福の時間であったろうと思う。

この辺で一休み

2作分の話を語るだけで、文字数が10000字に迫り、初代ギタフリおじさんの長い話に肉薄する長さになってしまった。

当初の見立てからは随分外れてしまった。それだけ思い出に残っていることが多いということだが、読者の皆さんがちゃんとついてこれているかどうかが心配である。

ここでいったん、話を区切ることにしよう。

次の記事では、遅延勢にとっての大きな転機となり、そして暗黒期の始まりと数々の熱戦、いくばくかの悲劇を生んだ、XG3とKAC2012についての話をお届けしようと思う。

XGを、はじめよう!(笑)

眠い。お休みなさい。

続・ギタフリおじさんの長い話②→

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