今日は音ゲーとは全く関係ない話です。
先生!なんで1+1=2なの?
という質問を、小学校の先生は最も恐れるらしいです。
「そう決まっているから」としか答えられず、それでは納得しない子供を宥めるのに苦労するからだそうです。
実はこの質問に対して、数学的に完璧な回答が存在します。Yahoo!知恵袋に落ちていたのを見つけたので、そのままコピペします。
ベストアンサー
0.記号の説明 n∈Nは「nは集合Nの元」または「nは集合Nに含まれる」ことを意味し、X⊂Yは集合の包含関係、すなわち「XはYの部分集合」であることを表す。またf○gは「写像fと写像gの合成」を意味する。s(N)は「写像sによるNの像」を表す。 1.自然数の体系 まず、自然数とは何かと突き詰めていくと、次の公理を満たすものであることが分かる。 集合N、その中の一つの元0(今は便宜上集合Nにゼロを含めて考える。そうしたところで「1+1=2」の証明には何ら差し支えない)、および写像 s:N→N の組 (N,0,s) が次の公理を満たすとき、Nの元を自然数と呼ぶ: (P1) s:N→Nは単射である。 (P2) 0はs(N)に含まれない。つまり任意のn∈Nに対してs(n)≠0 (P3) S⊂Nで、0∈Sかつs(S)⊂S(すなわちn∈Sである任意のnに対してs(n)∈S)ならば、S=Nである。 これを「Peanoの公理」という。これから先の話はこれを前提として話を進める。 新しい用語として、n∈Nに対してs(n)はその「後継者」、写像sは「後継者写像」と呼ぶことにする。 [12]Siegel zero 02/07/31 12:30 ppA4JJpLCWK0 2.帰納的定義の原理 以下に述べる定理が、これからの全てのキーとなる。この証明のよりどころは上記Peanoの公理のみである。 【定理1】Xをひとつの集合とし、Xの一つの元xと写像t:X→Xとが与えられたとする。その時次の性質(1)(2)を持つような写像f:N→Xがただ一つ存在する: (1) f(0)=x (2) 全てのn∈Nに対して f(s(n))=t(f(n)) (証明)本来これが全てのよりどころなので、証明すべきであろうが、あまりにも長く難解なので、証明はfiubengaさんの言うとおり本に譲りましょう。 この定理から特に、Peanoの公理の完全性、すなわち公理を満たすべき体系は一意的であることも示される。 3.自然数の加法 定理1を用いると、自然数の体系に加法を定義することが出来る。 【定理2】mを与えられた自然数とするとき、 (A1) f_m(0)=m (A2) f_m○s=s○f_m を満たす写像f_m:N→Nが一意に存在する。 (証明)定理1においてX,x,tをN,m,sとして適用すればよい。(終) 任意のm,n∈Nに対してf_m(n)をm,nの「和」とよび、「m+n」と書く(この時点では我々のなかの「当たり前」、例えばm+n=n+mのような法則が成り立つかどうかはまだ未知である。それをこれから確認していく)。条件(A1)(A2)によって ① m+0=m ② m+s(n)=s(m+n) である。またNの恒等写像も明らかに(A1)(A2)を満たすから、全てのnに対して ③ 0+n=n である。さらに少々面倒な計算の後 ④ s(m)+n=s(m+n) も導ける。これら①から④によって、我々の「当たり前」すなわち「交換律」m+n=n+m、「結合律」(l+m)+n=l+(m+n)という、自然数に於けるもっとも基本的な法則を導くことが出来る。すなわち 【定理3】自然数の加法は交換律、結合律を満たす。 (証明)上記①から④によるが、少々長くなるので文献におまかせ。 [13]Siegel zero 02/07/31 12:30 ppA4JJpLCWK0 4.「1+1=2」の証明 上記のような予備知識を経て、我々はやっと本題にたどり着くことが出来る。まずその前に「1+1=2」の何を示したいのかを考えておく。それは、 (*)『「1」の後継者が集合Nのなかに存在する』 ということである。「2」という記号はあくまで「記号」であって、重要なのはその「2」という「記号」によって表される数が、きちんとPeanoの公理に基づき、集合Nのなかに存在するかどうかである。 さて、s(0)、つまり「0の後継者」を「1」という記号で表せば、①②によって ⑤ s(n)=n+1 である。すなわち『後継者写像sは、“「1」を「加える」写像”n→n+1 に他ならない』のである。 ここまでくれば「1+1=2」を示すことが出来る。 s(1)、つまり「1の後継者」を「2」という記号で表せば⑤より s(1)=1+1 ∴ 2=1+1 (証明終) 以上が証明のアウトラインです。ここまで見てみれば、「1」や「2」という「記号」は全く本質的ではなく、結局(*)や⑤が一番重要なのである。
なるほどなるほど
って、絶対なりますよね。
小学生に向かってこんな説明をした日には、「そう決まっているから」と答えた時以上に求心力を失ってしまうことは間違いありません。
学問的に正しい説明ができることは素晴らしいことですが、それが子供に通用するかどうかというと全く別次元です。
じゃあ僕が、小学生向けに1+1=2を説明してみせましょう。
使用フリーっぽかったので勝手にいただきました。
はい。この灼熱くんは、「1」を現します。
誰がどう見ても「1」ですよね。「目が2」とか「トゲが8」とかイチャモンをつけることはできますが、それがイチャモンであることは小学生にもわかるでしょう。
世界はこれを「1」と呼びます。日本人はいち、中国人は一、イギリス人はone、ドイツ人はeins、スペイン人はunoと呼びますが、とにかくこれは「1」です。決して「2」や「5」や「100」ではありません。
これは定義の問題です。この灼熱くんが「1」ではないと主張するのは自由ですが、その主張が世界に受け入れられることはありません。
そしてここに、別の「1」を用意しました。
これらを足します。
これはいくつですか?
これは「2」ですね?
異論は認めません。これは「2」という自然数の定義です。
だから、1たす1は2になるんです。
アラビア数字とは、あくまで言語。あくまで人間が作ったもの。
人間が生まれる前、世界には「1」も「2」も、「+」も「=」も存在しなかった。
でも、🌞は存在している。🌞🌞も存在している。
🌞と🌞を足すと🌞🌞になるということは、たとえ人間が存在しなくても覆せない事実。
だから「1+1=2」であるのは、「1」の定義と、「2」の定義と、「足す」という行為の定義と、「+」と「=」という記号の定義を紐解けば、当たり前のことなのです。
はい。多少説明を省いた部分はあります。
「足す」ってそもそも何なのとか、「=」って何なのとか、ツッコミどころはまだまだ無限に存在します。僕はそれら全てに回答する自信がありますが、それを今日ここで書く意味はあまりないでしょう。
世界というオブジェクト
そんな細かいことは置いておいて、重要な話。
世界は…言語では、できていません。
目の前にリンゴが1個置かれている時、それは実はリンゴではないのです。
それはバラ科リンゴ属の落葉高木樹の果実です。皮が赤くて、剥くと白くて、甘くて、瑞々しくて、吉田沙保里が全力を出すと握り潰せる程度の硬さをしている果実です。
それを日本人は、「リンゴ」と名付けました。逆に言うと、日本人がいなければ、「リンゴ」は存在しないのです。
言語とは、世界というオブジェクトを人間の脳が処理するために使う道具でしかない。そこには常に「翻訳」が介在し、あるアングルからオブジェクトをカットした断面図に過ぎません。
数式も同じこと。本質的に存在するのは、「🌞と🌞を足すと🌞🌞になる」という誰にも曲げられない事実なのです。それを数学という箱庭の中で表現するために、アラビア数字と数学記号について定義づけを行った結果、「1+1=2」という正しい論理演算が生まれただけです。
もしも🌞が3、🌞🌞が8であると定義されたならば、「3+3=8」が正しくなる。それだけの話なのです。
学問を分解するということ
少しネットを漁ると、上記のものと似たような解説を行っている方の文章を拾うことはできます。
しかし、僕はそれを読んで吸収して、今この文章を書き上げたわけではありません。必要なことは全て自分で調べ上げ、自分で理論をまとめ上げました。
「1+1=2」が証明できないなぁと思った時、僕は「1」に、「2」に、「足す」に注目します。それらについて完璧な知識が無いから、証明ができない。
学問全てそう。何かが「わからない」理由は、それを「わかる」ために必要な「パーツ」について、完璧な知識を持たないから。
それでも目の前の試験を乗り越えようと思ったら、方法は2つ。「パーツ」に関する完璧な知識を身につけるか、もしくは「パーツ」はよくわかんないけどとりあえず丸暗記で乗り切るかです。
多くの人が、多かれ少なかれ後者の手段をとって勉学に励んでいるかと思います。僕だって時間が無い時はそうです。大学時代サボりにサボりまくった結果、卒業時点での僕の医学的知識は丸暗記だらけのツギハギ見聞録でした。
そしてそんなものは、時間とともに失われるのです。
その一方で、小学校入学時から高校卒業までの僕の勉学に、「丸暗記」は一切存在しなかったと言っても過言ではありません。
もちろん暗記はします。しかしそれは、学問を分解した「最小単位」として自分の中で納得できる「パーツ」に関する暗記です。
それが実際に最小単位であるかどうかは置いておいて、「現時点ではこれが最小単位だな」と自分の脳が納得するかどうかが大事なのです。
そういう納得の元に得た記憶を、脳は決して手放しません。物理的に神経細胞が傷害されない限り、インプットされた情報は永遠に残り、自由にアウトプットすることが可能です。
鍛錬を積むことによって、「自分にとっての最小単位」の解像度は上がっていきます。塩の塊が、塩化ナトリウムであること。塩素は原子番号17番で、ナトリウムは原子番号11番であること。原子番号とは、陽子の数によって決まっていること。安定な構造をとるために電子の過不足が生まれてイオンとなり、イオン結合によって塩化ナトリウムができていること。
まだまだいくらでも掘っていけます。この解像度を高めることこそが、勉学の目的なのです。
僕は義務教育期間および高校在学中における12年の間、常に肉眼で見える範囲内での総合1位の座に君臨してきましたが、それができた理由がこれです。おそらく同じ環境にいた他の誰よりも、解像度が高かった。
と、いうわけで
本日の講義はここまで。
たまには音ゲー関係ない話を書いてみるのもいいもんだ。
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