ギタフリおじさんの長い話

俺がギターフリークスを始めてから、13年半が経過しました。

その間の足跡と、考えてきたことについてだらだらと語ります。

2003年~V稼働まで

俺がギターフリークスを始めたのは、高校1年生の夏休み。文化祭の準備に疲れてベランダでボケーッとしていたところ、同じクラスの友達2人から「おもろいゲームあるんやけど、一緒に行かん?」と誘われたのがきっかけ。

2人ともドラマニ勢だったので、必然的に俺はギタフリをやることになった。当時稼働していたのは、確か8th & 9th Mixだったと思う。まさかそのゲームをここまで続けることになるなんて、当時は夢にも思っていなかったけど。

元々ゲームは大好きだったし、DDR大ブームの折にはもちろんプレーしていた。妹がポップンの家庭用をしていたから、DDR以外にも音ゲーがあるらしいという事は知っていたし、幼少時からピアノを習っていた関係で、音楽そのものも大好きだった。

だから、音ゲーに、ギタフリに、ここまでハマることそのものは、必然だったのかもしれない。

しかし、今ランカーと呼ばれている他の人達と比べれば、その出足ははるかに遅かったのではないかと思う。

そもそも始めたのが高1の時点で若干遅いし、IIDXは何となく敷居が高くて、GOLDが出る2007年頃までは全く触らなかった。

場所は香川の片田舎で、年上の友人もいないし、インターネットも今ほどには普及していなかった。音ゲー友達はギタドラ勢ばかりで、一番うまい人でもスキル600ぐらい。

ホームのボタンはバネ入りのガチガチだったが、そもそもバネ抜き筐体が存在するということを知るまでに2年かかった。

「隣の市のゲーセンにスキル1100の人がいるらしい」

「へ~すげ~神かよ、一生いける気がしねぇw」

そんな他愛も無い会話をしながらのんびりとギタフリを楽しむだけだったから、ライトンやデスラバの緑ギターを初めてクリアするまでに半年かかったし、ましてやコンチェ、100秒なんて曲には1年が経っても触ることもできなかった。あと、正規以外のオプションの存在も知らなかった。

1度目の転機が訪れたのは、Vが稼働した2005年頃。

ee’MALL目当てで行き始めた遠方のゲーセンでスキル1000ぐらいのおじさんゲーマーと知り合いになって、とりあえず三毛猫ロックの赤Bにスパランかけたりするといいよ、とかダークにすると見やすいよ、とか教えてもらって、手も足も出ずに死んだりしていた。

やはりピアノをやっていた関係か、難しい曲(と言ってもAgnus Deiの赤Bとか)は半ば覚えてその通りに指を動かす方法で攻略していたから、「音ゲーをやりこんでいる人」と初めて出会って考え方を教えてもらって、ここからようやく音ゲーマーとしてのプレイがスタートしたのかもしれない。

V稼働~V3まで

そんなわけで、ギタフリを始めてから2年経ってようやく、「上達するための音ゲー」を意識し始めたのだが。受験の関係やギタドタワーの謎の仕様、V2での糞詐欺レベル設定などもあり、少しずつゲーセンから遠ざかっていった。

上達を意識するにつれて、超えられない壁も見えてくるようになり、音ゲーに対する楽しみが逆に薄れたというのもあったかもしれない。

この時期にギタフリから足を洗っていれば、全く違う人生が待っていたと思うのだが。浪人した夏の模試でそこそこの手応えを得て、勉強に対する気持ちの余裕と有り余る時間を手にしたちょうどその時に、ギタドラ史上最高の名作、V3が稼働したのが運の尽きだった。

エクストララッシュ、バトルの導入、期待の新人の加入によるクオリティの大幅な上昇に加えて、2ch、ニコニコ動画、mixi(笑)などインターネットの隆盛。ギタドラ界を活気が一挙に覆ったあの時代。

超えられない壁を超えるための余りあるモチベーションがそれによってもたらされ、毎日ゲーセンに籠ってWhite Tornado赤Bを粘着する日々が戻ってきた。

やっぱり「ゲームが楽しい」というのは、上達するための最低条件だ。

エクストララッシュやバトルの目新しさを楽しさとしてそのまま享受できる時代を過ごせたことは、とても幸運だったと思う。

そんなわけでこの時期にスキルは初めて1300を突破し、当時の上級者の証である赤ネームに到達した。今で言う銀ネーム後半ぐらいの腕前だと思う。バトルで勝つためにどうしたらいいかということも考えた結果、Black Sheepの赤Oがめちゃくちゃ得意になった。

ギタフリを始めてから4年経って、やっと上級者の入り口に立った。それに伴い当時のランカーたちの腕前も朧気ながら理解するに至り、その神業に驚嘆した。隣県に住まうトップランカーだったLOSTさんのブログを毎日眺め、時に香ばしいコメントをつけていたのもこの頃だ。

けど、依然として自分はランカーなんかではなかったし、そうなれるとも思っていなかった。

グランプリと、トプラン2008

2007年春、無事大学に合格し、人生のモラトリアムがスタート。ますますギタフリにのめり込んでいくその時に、V4が稼働し、グランプリが始まった。

グランプリ自体を知らない人のために説明しよう。1ヵ月におおよそ3つほど、2週間~3週間ずつぐらいの期間をもってオンラインスコアアタックが開かれる。各大会のテーマに応じて数曲の課題曲が定められ、スキルではなく曲別スコアの合計で競い、順位に応じてグランプリポイントを得ていく。スパランが使える大会もあるが、基本的には正規限定の縛りが課される。

KAC予選(ただし課題曲もランキングのハードルもはるかにぬるい)が1年じゅう開催されているようなものだ。当時の公式サイトはこちら

これに俺は熱中した。スキルポイントではランカーには全く勝ち目が無いが、正規しか使えずガチるのも正直めんどくさいグランプリに本腰を入れないスキルランカーは多かった。元々ランダムをほとんど使わず、いわゆる稼ぎ曲に対する知識も得づらい環境でギタフリを続けていた関係上、グランプリのルールは俺にとって極めて都合が良かった。

グランプリで上位を目指すために、遅延の勉強を始めたのもこの頃だ。その際LAS.netや、mixiコミュニティのギタフリ遅延メモ続論には非常にお世話になった。当時の管理人の方々のほとんどは既に第一線を退いているが、その魂を受け継ぐつもりで今俺は活動している。

そしてグランプリをガチって腕を磨いたご褒美として、トプラン決定戦2008の中四国ブロック決勝に進出することができた。トプラン決定戦予選のランキングが、公式サイトの一番下の方に載っていると思う。その41位に俺がいる。

当時のスコア計算式も相当に独特で、赤譜面をワイリング全即上げエクセした曲別スコアを100点ちょうどとし、その何%の曲別スコアを出せているかが記録される。遅延を入れれば小数点以下で動く程度の点数が入る。黄譜面では0.8倍、緑譜面では0.6倍(だったかな)の倍率がかかるというものだった。そして当時も公式からはロクな説明は無かったように記憶しており、大会は開くけどスコアのしくみは自分で調べてねっていうのはもはやギタドラの伝統だ。

つまり赤で80%以上の曲別スコアを出せない場合は黄色をエクセした方が有利ということであり、そして当時の曲別スコア計算式は今にも増して酷かった。グレ0ミス2で曲の真ん中で切ると、グランプリ換算のスコアは51点程度しか入らない。グレ0ミス2でマックスコンボ90%ぐらい繋いで、ようやく88点ぐらいが出たりする。恐ろしいことだ。

当時のブロックは全国で8つ(北海道、東北、関東1、関東2、中部、近畿、中四国、九州)に分かれていて、それぞれ8人が地区決勝に進めたから、なんと全国で64名のプレイヤーに地区決勝で戦うチャンスが与えられた。今と比べると大違いだ。

そしてLeaving All Behindの赤ギターを正規でフルコンできるプレイヤーは限られた人数しかおらず、黄色をフルコンすることさえできれば良かった。極東、ジグザグ、恋は臆病、レボリューションは空気だし、ギタードライブも最後ゲーだったから、FT2とミラージュの赤ギターを正規でフルコンできるかどうかというだけのゲームだったし、枠の多さのため実際のハードルはもう少し低かった。ひょっとするとFT2は赤ベースでも良かったのかな。

まぁ何にせよ、このルールなら当時スキル1430(今で言う8200ぐらい?)しか無かった俺でも十分に予選を突破するチャンスがあった。当時住んでいた関西ブロックではなく、生まれた土地である中四国ブロックで登録したことも突破の可能性を高めていた(てへぺろ)

予選終了してから調べると、全国64名の通過者中少なくとも62名はスキル1500以上の炎ネームだったことが確認できたが、俺の正規対策力と計算力をもってすればその程度のスキル差を超えられたのは不思議ではない。

そして俺は中四国ブロック2位の成績で予選を通過し、ブロック決勝では1位通過のLOSTさんと3位通過のANCHANG(後のRAILGUN.)さんに挟まれて座ることになった。えっ、マジで?

それまで自分をランカーなどとは露ほども思わず、そんな地力も無く、ちょうどいい機会だから限界まで頑張ってみようぐらいのつもりで参加したトプラン予選、最初はC判定だったミラージュ赤Gに1週間で200回粘着してフルコンまで持って行き、血を吐く思いでスコアを提出してみたら、何か予想外に順位が高くて両隣に化物がいた。

全国でブロック決勝のベンチに座っていた64名のうち、スキルでは下から1番目か2番目(というか概ね最下位)なことを知っている状態で、LOSTとRAILGUN.に挟まれたギタフリプレイヤーの気持ちを200字以内で述べなさい。

とまぁそんな状態で始まったブロック決勝、1st roundの課題曲はAXIS赤Gとストパー赤Gで、厳正な抽選の結果1番手でプレーするのは俺ということになった。おいおい、勘弁してくれよ

AXISが得意譜面だったことに心から感謝しつつ、緊張のプレーを終えた結果は、中盤の難所2箇所のみ切って残りを全繋ぎ。良くはないが悪くもないという感想で安堵しながら、ストラップに手をかけた瞬間。

待っていたのは、背後から降り注ぐ万雷の拍手と歓声だった。

ギターフリークスが、単なる趣味から、心血を注ぐ価値のある対象に変わった瞬間だった。

初出場の公式大会、1番手でのプレーでまだ観客の反応はわからず、リザルトもごく平凡。そもそもやっているのはゲームなわけで、ただただ醜態を見せないようにという一心の、緊張の糸が緩んだ瞬間に、不意打ちで大歓声を浴びたとしたら。

その瞬間をもう一度味わうことに、全てを賭けるようになるでしょう?

これが俺の原体験。スキルの順位でもスパランの上手さでもなく、KACに全てを賭ける理由。

トプラン2008~XGまで

結局トプラン2008は中四国ブロック5位で終わったが、その日は夜中まで広島ラウンドワンで遊び、それまで絡むべくもなかったランカーの皆さんと店内対戦をしたりして、香川に帰って来た俺のモチベーションの高さたるや、推して知るべし。

猛練習で発狂譜面を少しずつ攻略し、スキルポイントはぐんぐん伸びて、グランプリの順位もそれに応じて上がっていった。しかし、最終的にスキルは1500には届かず、グランプリランキングの最終順位は22位だった。要は、V4の前半までの俺は本当にどこにでもいる、平凡なプレイヤーだったのだ。ギタフリを始めてから5年経った頃の話である。

V5では正規譜面オンリーで炎ネームを達成(正規しかできなかっただけ)し、グランプリランキングを5位で終えたのが大きく、一応そこそこに名前が知られるようになった。その一方で、Rock to Infinityの赤譜面は自力で出すことができず、セッションで連れて行ってもらっていたし、連れて行ってもらってもクリアするのがやっとな状況だった。

「トプラン決定戦のブロック決勝にもう一度出場する」ことだけが目標だったから、超発狂譜面を攻略しようとしなかった。むしろ確実にオンライン予選を突破する腕を磨くことに集中するため、意識的に発狂やスパランに時間を割かずにプレーをしていた。苦手なことから逃げていたとも言う。

そしてレベル85~90ぐらいの譜面の正規の安定力と、遅延の実力だけがメキメキと上がっていった。

V6ではグランプリが廃され、年に4回だけ大会が開かれた。その大会のうち1つでついに栗坊さんと遅延での直接対決となり、僅差で勝利を収めたのはいいが、トプラン決定戦の告知はなく、自分のギタフリの上達にも限界を感じ始めていた。

スキルを上げることが目的ではなかった以上、発狂を攻略するモチベーションなどあるわけもない。モチベーションが無ければ上達するわけがない。スキルは1550で頭打ちとなり、1600台で競っていた方々を指をくわえて眺めるだけで、自分には無理だと諦めながら、何となくギタフリをプレーしていた中。

XGシリーズへの移行が発表された。

XGの始まりと、KACと、遅延メモの公開と

これに俺が飛びつかなかったわけがない。3ボタンでのギタフリはもはや限界だ。さらに血反吐を吐きながら修行をすればスキルランカーに近づけるかもしれないが、自分はそれがしたいわけじゃない。

そこにきて5ボタンへの変更。勢力図が大きく変わることは想像に難くなく、また新しいゲーム性も単純に楽しみだった。V6を普通に楽しんでいたプレイヤーの反応はまちまちで、期待半分、不安半分な人もいれば、不満タラタラな人もいたが。

俺にはVシリーズに対する未練は毛ほどもなかった。3連が得意だったからMODEL DD4 赤Oを頑張ってフルコンして、それが俺のVシリーズで誇れる最高の記録。それを墓標と定めてからは、XGでのスタートダッシュを決めることだけを考えていた。

そんなわけで、XG稼働当初の高すぎる価格設定を意にも介さず、俺は速やかに移行した。V7・V8のプレー回数は10回にも満たない。

しかしながら、Vでの発狂力が無かったことはXGシリーズにも如実に響き、稼働当初こそスキル2位の座に座れたものの、すぐにズルズルと順位は下がった。今更スキル上位を目指すモチベも無かったから、相変わらず「ブロック決勝進出」を念頭に腕を磨く日々が続いた。

KAC2011でブロック決勝の枠が4枠に減り、課題曲にIMIが含まれていた時にはおいおいマジかよとしか思わなかったが、カイザーが漏れたことは俺にとって朗報だった。根性で関西ブロック決勝に進出し、3年ぶりの歓声と、新たな友人との出会いを得て、俺のギタフリへの挑戦はそこでいったんの満足に至った。

トプラン2008から3年間は公式大会が無かった以上、KAC2012がある保証は無い。あったとしても、各ブロック4枠、全国で20枠に減った予選を通過する見込みはそれこそ課題曲次第。それに、自分には全国優勝を目指せるような才能は無さそうだ。それなら、関西ブロック3位という成績は、墓への手土産には十分だ。

1クレ200円時代に激減した人口、アバターやガチャ解禁などソシャゲのパクリのような要素の導入、処理落ち(個人的にはこれが一番ありえない)、大夏祭りなどの影響で、ギタドラ自体の暗黒期が始まろうとしていた時期でもある。俺がギタフリを上達する理由は、そこでいったん失われた。

それでも遅延は楽しかったので、グランプリの残り火のようなスターロワイヤル(笑)は頑張った。遅延の研究が進んだのはこの頃で、すーちょ先生を相手にギリギリまで煮詰まったスコア勝負をしながら、最後の数百点を詰める必要性にかられたためだ。

そして、KAC2012の開催が発表された。今年の枠は各ブロック3枠ずつらしい。ブロック8枠の時代に戻らないかという我々の淡い期待を裏切り、2011よりもさらに減った。課題曲はポニシュ、サムライハート、暗黒舞踏会、Restart、Pink Bird。?????

こんなんただの遅延勝負やんか!!!

と、誰もが思ったことだろう。

その時俺は、ブロック決勝進出を確信した。まさか関西・中国ブロックがあんな地獄絵図になるとは夢にも思わず。

確信した一方で、ある危惧が心に浮かんだ。あまりに遅延勢にとって有利すぎるラインナップ。このまま予選が開かれて、スキル上位勢が多数落選した状態で、仮にブロック決勝に進み、仮に勝利を得たとして、真っ当な評価を得られるか???と。

結果を見た今では、この危惧が的外れなことは明らかだ。しかし、予選開始前の時点では、看過できない考えだった。そして俺は、他人から見て最大限わかりやすい形に遅延メモを書き換え、情報を拡散するという目論見に着手した。

この結論に至るにあたり、考えたことはいくつもある。遅延に疎いスキルランカーからすれば、情報の公開はありがたいこと以外の何者でもないだろう。

俺は俺で、XGの遅延はこんなにも面白いんだから、もっと興味を持ってもらえる機会は無いものかという気持ちはずっと抱えていた。KAC予選はこれ以上ないチャンスだった。

また、当時のギタフリ界隈の空気も関係がある。V3での隆盛からシリーズを経るにつれて段々とマンネリ化は進み、プレイヤーによるトラブルもあって、準ランカー層の人間が去った。XG移行時にランカー層の人口もゴッソリと減り、このゲームに多額のお金を注ぎ込む人間がほとんど消えた。XG2で少し持ち直したかと思ったところからの、XG3のあの惨状だ。

ここに加えてKACも全く盛り上がらないとなったら、いよいよ次のKACからはギタフリが消えてしまう可能性まである。と言ったら言い過ぎだろうが、まぁそんなことも頭を掠めたのは事実だ。KAC2011の時に生じた揉め事も、この思考に若干の影響を与えた。

唯一の問題点は、情報を公開することにより俺や遅延勢の勝ち抜けの可能性が低くなることだ。迅速で正確な遅延メモ作成は俺一人でできることではなく共同作業が必要だから、俺一人の問題でもない。

この点に関しては、明確に話し合ったかどうかは覚えていないが、情報公開の是非を遅延勢に問う際に、少し話題には出したと思う。

「情報を公開した結果として負けるようなら、素直に予選で負けておくべきだ。それに、公開したぐらいで負けるつもりもない。」

これが遅延勢の一致した見解であり、俺自身も全く同意見だった。

そして今日まで続く、遅延メモ公開の形の基礎が作られることとなった。

もちろん誰にでも情報を公開するのではなく、仲間内でだけ情報を共有するという選択肢もあった。むしろその方が自然で、大会として理想的な形だ。その形をとれなかったのは上記で考慮した様々な要素と、ギタフリのスコアシステムが複雑すぎることが原因だ。

これはあくまで俺の個人的な見解だが、栗さん、ネギさん、オメガマックスさんなどごく一部の遅延感覚ガチ勢を除くと、俺をはじめとする遅延理論ガチ勢の情報無しでは、そもそも勝負のスタートラインに立てなかったのだ。スタートラインに立てないのなら、もはやそれはギタフリの勝負ではない。

仲間内だけで情報を共有する形にしたとする。それは即ち、遅延理論ガチ勢と、その友人と、あとはわずかな人数の遅延感覚ガチ勢だけが予選のスタートラインに立てるということだ。

それ以外の人たちは、そんな構図になっていることすらはじめは気づかないだろう。そのぐらい、XGシリーズにおける曲別スコア要素の認知度は低かった。気づかないままにスコア粘着に挑戦し、ランキングを見て、上位陣とのスコアが理不尽に離れていることに気づく。

そこで曲別スコアの仕組みを知ろうという発想に至り、何とかして理論勢の所に聞きに来る流れになってくれればまだマシだ。だが、「XGシリーズではブーストボーナスが重要で、V時代までの遅延とは全く異なる形でスコアが伸びるから、改めて研究が必要である」ということに、果たして全員が気づけるだろうか?

最悪だと思ったのは、良くわからないままにV時代の知識を元にして粘着を続け、わけもわからないままに予選敗退し、その後で初めてそういう構図だったと気づくことだった。「単に知っているかどうかだけで勝敗を決してしまうような重要な情報を、一部のグループだけが共有していた。」

この事実が後から明るみに出て、惨禍を巻き起こすことこそが、俺が一番恐れたことだった。

この判断が本当に正しかったかどうかは、誰にもわからない。情報を公開した結果として、かえって深い悲しみを生んでしまったかもしれない。

勝負なんだから、本来なら「気づかない奴が悪い、負ける奴が悪い」で済ませばいい話だ。しかし、それを許容できるような余裕は当時は無かったと言い切れるぐらい、ギタフリ界隈の空気は悪かった。

話題に出すのも申し訳ないが、後に他機種のKAC予選で起きた揉め事を勘案すれば、俺のこの判断は間違っていなかったと俺自身は思っている。

KAC2012と、その後のことと、これからのこと

その年の予選で起きた地獄については、ここでは語らない。だが、その時の結果として、俺は「ブロック決勝進出」を目標にしてギタフリを続けるわけにはいかなくなった。しかし2012年に優勝を目指すには、明らかに地力が足りなすぎた。

結局その時の関西代表はななろくさんになり、惜しくも最終決勝の3人には残れない展開だったが、初めて目にするV時代の覇者のプレーは明らかにレベルが違っていた。

そして最終決勝で公開されたBrown Blizzardのスコアと、1人ずつ放送された、Rock to Infinityのプレー。当時では考えられない圧倒的なリザルトで、明らかに3年ほど未来に生きるプレーだった。

関西会場でも誰もが唖然とし、スクリーンを見つめるだけだった中。ななろくさんだけが1人、悔しそうな表情を浮かべていることに気がついた。

この時の予選と、ななろくさんの表情の記憶が、未だにKACへと挑戦する原動力となっている。2013、The 4th、The 5thについても思うことは色々あるが、ちょっと話が長くなりすぎたのでこの辺で思い出話は終わり。

ようやく今日の本題に入れる。というのは、これからの話。

遅延メモ公開について

来年もしThe 7th KACが開かれたとして、これまでのような形で遅延メモを公開することをやめようかと考えています。その理由を説明します。

まず、俺自身の時間の余裕も、実力の余裕も無くなってきたこと。今年全速力で遅延メモを作成して、検算をお願いして、公開にこぎ着けるのも相当しんどかった。最終的に、ぴこ君としょごたんにはスコアで後塵を拝することとなった。次は本気で、遅延の実力でボーダー以下に弾かれるかもしれない。

というかまぁ、The 5thの時点でボーダー以下に弾かれてるんですけど、そこについてはいろんな思いがあって、俺の中では例外扱いなので機会があればまたの機会に。

今年はまだ仕事が暇なので何とかなりましたが、来年は本当に物理的に不可能になる可能性があります。そうなった時に、俺が俺自身のベストのスケジュールで予選に挑戦するためには、遅延メモの公開に割く労力を、自分のコンディションの維持に割かなければなりません。

次に、曲別スコアの仕組みに関する知識が広く浸透し始めていること。予選で戦うためにブーストボーナスが大事だという事実は、今なら「知らない方が悪い」と言えると思うし、俺の開発した形式の遅延メモが書ける人も、もはや俺だけではありません。

様々なプレイヤーのスコア力が上がるとともに、遅延メモを公開することの弊害の方も考慮すべき時期に入っていると考えています。つまり、本来勝負の要素としてあるべき「情報力の差」が、公開によって失われてしまうという事実です。

圧倒的知識を有する少数の遅延勢だけが情報と実力を持っていた時代なら、この「情報力の差」を無くしてでも、公平な環境を作るメリットの方が大きいと言い切れました。しかし、今はそうでもありません。

言い切れないと感じるぐらいに、曲別スコアに関する知識が広まってきていることを、俺は嬉しくも思っています。

それから、ギタフリ界隈全体の空気が良くなってきていること。全体の人口が増えているかどうかはわかりませんが、俺の目に見える範囲では、活気は戻ってきている気がします。少なくともランカー同士の信頼関係は、以前と比べれば大幅に改善されたはずです。

多少のトラブルが起きたところで、今ならそれを包み込むだけの余裕が生まれつつあると、俺は信じたい。その状況下であれば、遅延メモを無理に公開する必要も無いはずです。

とまぁ、こんな辺りが理由です。言うまでも無いことですが、俺が遅延メモ公開から手を引くからといって、他の誰かが公開することを制止するような考えは全くありません。一方で、他の誰かに公開を引き継いで欲しいという気持ちも特に持っているわけではありません。

実際の所、来年も遅延メモは作ると思うし、仲が良くて遅延の知識の浅いプレイヤーから教えを請われたならば、喜んで情報を渡すでしょう。一人で作って自信が無ければ、誰かと情報を共有して、検算もするでしょう。

要は俺自身が、何も考えずあるべき自然な勝負の姿に変わるだけです。その中で、俺以外の誰かが今までと同じように情報を公開するのならば、それもまた良いことです。俺個人にとってはちょっと都合が悪いかな(笑)

プレーオフについて

長々と昔話から始めた理由の1つでもあるのですが、プレーオフの今後の姿に関する願望です。

昔のトプラン決定戦は64枠ブロック決勝の枠があって、平凡なプレイヤーでしかなかった俺は運良くそこに引っかかって、そこからギタフリにはまり込みました。

その経験を、できるだけ多くの若いプレイヤーに体験してもらいたい。それには今のKACの4枠ではあまりに不足です。

プレーオフでは必ずしもその快感の全てを再現できるわけではありませんが、精一杯のきっかけとなればいいなと思ってこの企画を開いています。

という考えに基づくのなら、16枠ですら少々不足気味です。せめて32枠か、ドーンと64枠!理想的には用意したいですね(笑)

これは、ただの願望です。現実的な運営の都合や、V4の頃と今のプレイヤー人口の差を考えれば、16枠がちょうどいいと思っています。でも何か大きな転機があったら、いつか開きたいなぁ、64枠のプレーオフ。

これからのギタフリについて

俺の密かな目標は、60歳の誕生日に一網打尽紫Gをクリアすることです。

ということは、その日までこのゲームが続いてくれていないと困ります。

というのは半分冗談ですが、これだけたくさんの思い出が詰まっていて、これだけ未だに楽しめるゲーム、長く続いてくれるに越したことはありません。

いつまでゲームに夢中になってるのという話もありますが、60歳でフットサルを楽しむおじいちゃんと、60歳でギタフリを楽しむおじいちゃんの間に、本質的に何の違いがあるでしょう?

音ゲーのちょっとダメなところは、筐体と自分との間だけで関係を完結させてしまえることです。

人間は社会的な動物です。コミュ力、コミュ力と言われるのも、徒党を組んで社会を作ることこそが、人類がここまで繁栄できた理由そのものだからです。

必ずしもまともな社会的な力を持たなくても生きてはいけるはずなのに、最低限のものは持っていないと、世の中何かと生きづらい。最低限のものも持たずに生きていけるのは、何らかの圧倒的な才能の持ち主だけ。そしてそういう人は、才能が衰えた瞬間につまずかざるをえないものです。

話が逸れました。要は音ゲーという趣味は、人間が生きていくために最低限身につけるべき社会的素養と乖離しがちな側面があり、それゆえに、時に煙たがられたり、トラブルが起きがちだったりするのではないかと私は分析しています。

そういう側面さえ回避すれば、音ゲーはとっても良い趣味です。1人でも楽しむことができて、自分の限界に挑戦することができて、音楽的な素養も伸びる。あと、安い。

また話が逸れています。要するに、音ゲーを長々と楽しもうと思ったら、同好の士は多い方が良くないかな?ということが言いたいわけです。

音ゲー友達と音ゲー以外のことをするのってめちゃくちゃ楽しいですよね。音ゲー友達ではない人と音ゲー以外のことをするのよりも、俺は100倍ぐらい楽しいです。

また話が逸れた。えー、つまり、高校時代に俺をギタフリに引きずり込んだ友達のように、もっともっとギタドラの輪を友達に広めていく機運ができないかなと願っているわけです。

今のギタドラのちょっとダメなところは、初心者にとって敷居が高すぎることです。ふらっとゲーセンに来て気軽に始められるゲームではなくなってしまった。となると誘われて始めるしかないわけですが、プレイヤーの高齢化に伴い、誘う側が軒並み上手い人しかいなくなっています。

まぁ上手い人は上手い人でワイワイやってればいいとは思うんですが、初心者と一緒にやる時ぐらいは、それなりのお面をつけた方が、人口は増えやすいんじゃないかなと。。

これ以上言うと単なるお小言おじさんになってしまうので、やめましょう(笑)

俺はもっともっと多くの人に、ギタフリの楽しさを知ってもらいたい。これからもそのために活動を続けていきます。

文字数12002字。お読みくださりありがとうございました。

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コメント

  1. 通りすがりの1175 より:

    私Vシリーズ以前を特に熱心にプレイ・・いやプレーしてた老害世代なんですが
    あのギタフリがいまだにずっと続いてる事に度々衝撃を受けます。
    しかも動画サイトで知ったのですが最近のやつは
    プレー中に演出で、どでかい美少女キャラが出てきてなんじゃこりゃとカルチャーショック受けました(笑)どうしてこうなった?

    昔XGを何回かプレーした時にはああ、こりゃ遂に終わるなと思いましたね
    XGの時に大改革するチャンスが来てたと思うのですが
    3→5ボタン化して面白くなったという手応えは一切なくて
    単にゲキムズゲーになったとしか思えませんでしたね正直なところ。

    というのもドラマニと違ってネックボタンと鳴る音って基本関係ないですからね
    ここを押さえるとこういう音が鳴るって説得力がギタフリには無い。

    ・・・なんか悪口しか書いてない気がしますがw
    オルタピッキングができるようになると一気に面白くなるゲームなんで
    もしまたギタコンの仕様が変わるシリーズが出るなら
    より誰にでも操作しやすいというか操作性の高いギタコンになってほしいですね。
    後はギター演奏ゲーとしての説得力の向上ですかね。

  2. YS より:

    初めまして。たまたまブログ見たらなんか懐かしくてコメントさせてもらいます。
    私は2002年の当時中3の時にデビューして2009年のV6迄やってました。
    最終的にはスキル1580くらいでした。
    もう16年かぁ。早いものですね。

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