前回のあらすじ:にるなっつ無双。
Tri-Boostについて
2015年4月21日、OverDriveからのオンラインアップデートにより、Tri-Boostが稼働。
本作ではひまわり*パンチの面々が前面に押し出されるようになった。
プレーにより入手できる『トラブ』を消費することにより、ステッカーなどのアイテムを得られる『ベアガーデン』。
この作品では他に、セッションコンボが復活したり、セッションまたは2人プレー時の相手のスキルポイント上昇分が累計される『アドバイザースキル』が導入されたりした。
プレイヤーボードの登場やロングの新曲追加など、他にも細かな更新のあった本作だが、無印ギタドラの大型アップデートやオバドラでの大進化に比べればシステム面の変化は些細なものであった。
この作品で特筆すべきことと言えば、数々の悪夢のような譜面の追加だろう。
初代XGの時点で既に、一網打尽、コンチェ、IMIなどの問題児は存在した。こいつらはまだスタッフが加減というものをわかっていなかった(今でもわかっているかは怪しいが)黎明期の産物である。
その後歴史を辿っていくと、初代XGのボス曲はカイザー、XtG、DD9。
XG2の最難曲は、エクセル、チャイニーズ、ブラブリ。ブルームーンも含め、単色階段が多いことがこの作品の特徴だ。
XG3の最難曲は、DD10、ラリアット、ハーディス。今となってはおとなしめのラインナップであり、このこともXG3が不人気だった一因だ。クライマックスステージだったオバビュの終盤とか、めっちゃ音鳴ってるのに譜面スカスカだし。
無印GITADORAでは、元禄、FT3、メメントが登場。エレクリやナインもこの作品での収録だ。この頃から初代XGの思想に近い無茶な譜面が再登場してきたように思う。
オバドラの最難曲は、ネイチャー、DDU。ともに正規譜面は常軌を逸した形をしているが、スパランで攻略されていることは面白い。
それに対し、トラブで登場した最難楽曲は。Skyscraper、DD11、サヨナラヘヴンである。
ちょっとやりすぎじゃありませんかねぇ……。
稼働期間が2016年12月13日までと長かったこともあり、この作品では他にもWITCH HUNT、Blaze、Golden galaxyなど、鬼のような譜面が目白押しだ。
このギターフリークスというゲーム、下はI think about youから上は一網打尽まで、本当にピンからキリまでの難度の楽曲が揃っているが、上を見た時の譜面の格差は尋常ではない。
虹ネームなりたてぐらいのレベルではまだまだこのゲームの最難譜面には歯が立たないことは皆さんご存知だとは思うが、実は9000に辿りついたとしてもまだ足りない。
レベル9台前半の稼ぎ曲を接続するのと、9台後半の魑魅魍魎退治に挑むのとでは、アーロンと三大将ぐらいの開きがある。9300ぐらいまで到達してようやく、このゲームの頂を目視できるようになる(なおまだ手は届かない)というのが現在の俺の見立てだ。
上に行けば行くほど凄い勢いで譜面が牙を剥いてくるこの現象を、俺は片対数グラフと呼んでいる。
一方これが、トラブにおけるスキルランキングだ。ただしこれは2015年9月9日の時点で更新が止まっている。
次回作のリボルブでは現在確認できるスキルランキングが存在せず、2015年9月10日から2017年9月5日の期間については闇の中である。
相変わらず、トップはけーえむさん。それに対し、ほぼ正規譜面だけで肉薄しているにるなっつの実力が際立つ。
そんな中、俺のスキルポイントは8593、71位。無印、オバドラと比べると大きく順位を落としている。
仕事が忙しかったことや、周囲のレベルの上昇もある。しかし、それ以外にも理由はあった。
4本指への移行。その糸口を掴もうと、試行錯誤に励んでいたのだ。
ただこれは、口で言うほど簡単な道のりではなかった。
まずはリライト赤Bのスパランあたりまで階層を落とし、小指を動かす鍛錬に励む。V6の終盤や初代XGの初期には小指を使っていた時期もあるし、ピアノも15年習っていたから、小指を動かすこと自体はそんなに苦しむことではない。
しかし、初めから4本指でこのゲームを始めるのとは、わけが違う。3本指でKAC準優勝を2回できるレベルまで辿りついてからの、4本指への移行。
それは邪眼を入手するために、一度A級の妖力から最下級にまで身を落とすことに等しい。(幽遊白書の例えとかもう通じない世代も多いんだろうな~)
従来スライドで処理していた部分を小指処理に変えるわけだから、脊髄反射のレベルで培ってきた技術をいったん破棄して、新しい神経回路を組み直さねばならない。
そんな練習をしていれば、当然3本指でのプレーにも支障が出る。The 5th KACで戦うための実力は維持しておきたいから、3本指で難譜面を捌く力も保ちつつ、新しいスタイルへの移行を計る。
その途中、迷いが生じた回数は百ではきかないと思う。
KAC決勝の舞台で、初見譜面をプレイしてにるなっつに勝とうと思えば、3本指では一生無理だ。
しかし仮に4本指に移行したとして、それでようやくスタート地点に立ったに過ぎない。そこからさらに成長して、ぴこ君やにるなっつを追い抜くことは可能なのだろうか。可能だとして、それはいったい何年後?果たして今から始めて、間に合うのか?
……優勝という夢を追うのは諦めて、3本指でできる範囲のことをさらに極める選択肢もアリなんじゃないか。
俺は、考えても意味のないことには脳のリソースを割かない。スキル8300の時にKAC優勝を目指すというのは確かに無謀なことだが、それが『できるかどうか』で迷うなんてことは時間の無駄だから、XG3や無印の時には一切迷うことなく修行に取り組んだ。
しかし、今度は話が違う。このまま3本指をさらに極めるか、全てを捨てて4本指に移行するかの選択。ひょっとしたら、4本指に移行したものの中途半端な動きしか習得できず、できていたはずのこともできなくなり、失意のうちに年齢の限界を迎えることになるかもしれない。
そんな迷いを抱きながらの練習の日々だったから、4本指での実力は金ネーム中盤ぐらいという実戦にはとても投入できない状態のまま、The 5th KACのエントリー開始日を迎えた。
The 5th KAC予選
2015年12月24日、The 5th KAC予選ラウンドが始まった。
ギタフリ部門の課題曲はこの6曲。Street For Student、ATSUI、EVIL OGRE、CHIMERAはいずれも8台後半の譜面であり、スキル9000クラスならばエクセは出せる。
DEMON SLAYERは9台の高難度曲と見せかけて、ワイリング数にあまりにも差があるため当時レベル7.80の紫Bの方が理論値。そしてSkyscraperは皆さんご存知の通り、紫Gのレベルは現在9.98を誇るギタフリ屈指の難曲だ。
令和の今の世になっても、Skyscraper紫Gのフルコン達成者は俺の知る限りにるなっつとけーえむさんの2人しかいない。そしてワイリングの関係上、赤Gと紫Bとでは紫Bの方がKACスコアは上。
つまりこの年のKAC予選の概要としては、「まずSkyscraper紫Gで紫Bの理論値をある程度上回るスコアを出せれば勝ち確。それができないならば、Skyscraper紫Bを含む6曲全てでエクセを揃えた上での遅延力勝負」という構図だった。
そんな中、1月上旬まではSkyscraper紫Gで勝負できる人間は現れず、年越しの時点では俺が暫定1位の座に座っていた。そして俺は元日の夜、カードネームを「曲別ランキング下さい」に変更した。
KAC2013におけるじじいさんの「LONG曲やりたい」や、たまごさんのバトル復活の要望がオバドラで相次いで実現したことが念頭にあった。あとはランキングが復活すれば、ギタドラは隆盛を誇ったV3~V5期の体制を取り戻すことができる。
その主張に伴うリスクは、俺の中では織り込み済みだった。ランキング復活希望は既に各所で言われていたことであり、それでも復活していないことにそれなりの理由はあっただろう。
そんな中、公式ランキングの場での「曲別ランキング下さい」は、もしかしたらスタッフの逆鱗に触れるかもしれない。公序良俗に反するカードネームは規約違反に該当するから、最悪の場合垢BANされることも覚悟の上だった。
なお当時は今ほどKONAMI IDやe-amusement passに関する規制は厳しくなく、BANされてもアカウントを作り直して再度参加することが可能だった。
「このタイミングなら、たとえBANされたとしても新規カードで同じスコアを揃え直せる」。そこまで計算に入れた上で、ランキングを復活させられるかもしれない一縷の望みに思いを託して、俺はこの行動をとったのだ。
それにぴこ君とたっくみんが呼応したことは、予想外のできごとだった。上記の画像の「曲別ランキング欲しい」がたっくみん、「あと全曲ランキングも」がぴこ君だ。
これは別に、示し合わせてやったことではない。俺のカードネーム変更に追随して2人が自分の意思で行ったことである。それを見た時、彼らはBANされる覚悟まで決めた上でやってるのかなぁという懸念はよぎったものの、俺は嬉しかった。
そして俺たちの願いは、叶わなかった。1月6日のBEMANI生放送にて、KAC予選各機種の暫定ランキングが発表されたのだが、ギタフリ部門だけ触れられることなく放送が終わったのだ。
それはスタッフ陣からの、「ランキングはダメだよ」というメッセージとして俺は受け取った。この出来事を事件ととらえ、「がっかりした」という思いを伝えてきた友人もいる。
しかし俺からしてみれば、リスクをとってでもリターンを追い求めにいって、結果として失敗しただけだ。むしろBANされなかった分、想定していた最悪の事態は回避された。
「ハネ満確定のカンチャンリーチをかけたら、追っかけの三面張親満に振り込んだ」程度の失敗だと解釈している。決しておふざけでこんな行動をとったわけではないし、話し合って結託したわけでもなかったことをここに記しておこうと思う。
1月8日頃、にるなっつがSkyscraper紫Gをフルコンし、トップに躍り出た。やはりこの男、当時のトップランカーの中でも別格の正規力を有していた。
それでは他の最上位陣はSkyscraperにどう向き合っていたのだろうか。「Skyscraper紫Gで紫Bの理論値を上回る」ということがどれだけ難しいかは、以下のけーえむさんのツイートに集約されている。
当時けーえむさんは、この曲の紫G正規で達成率97%を3回出していた。しかしKACスコアは紫Bの理論値を超えず、決勝に進出することはできなかった。
そのカラクリはこういうことだ。Skyscraperに限らず、曲の終盤で何回もワイリングがくる曲は多い。そしてそういう曲においては、後半で1ヶ所切っただけで絶望的にワイリングボーナスの得点が下がる。
そのため、頭から88%コンボを繋いで1ヶ所切りというけーえむさんの傑出したリザルトをもってしても、紫Bの理論値を超えられないという事態が生じたわけだ。ギタフリは本当に理不尽なゲームである。
ただし、Skyscraper紫Gのノーツ数は763。ワイリングボーナスは500コンボで頭打ちになるから、序盤で切った場合は終盤の連続ワイリングの得点は変わらない。大きくスコアを落とすことにはなるが、紫Bの理論値を超えるチャンスはある。
偶然にもその恩恵を受けたのが、上記右側のぎるたんのリザルトである。前半の5色階段を切って、残りを全繋ぎ。その切り所は、奇跡的に紫Bの理論値を超えられる希有なポイントであった。
このような経過を経て、予選最終日の1月21日、午前0時のランキングは上記の通りであった。結局Skyscraper紫Gで紫Bの理論値を超えたのはにるなっつとぎるたんの2人で、通過確定。その下、1億100万点台に乗せている「たっくみん」から「讃岐うどん屋さん」までが、熾烈な遅延勝負を繰り広げたメンツである。
1月8日には上位に姿を見せていなかった栗坊さんが、通過ボーダーの4位に浮上している。
当時栗坊さんは仕事の都合で多忙を極める身であり、KACをガチるつもりは無かったそうだ。しかし、年明けのカードネーム騒ぎが真面目な彼の闘争心に火をつけた。
「そういう主張をするのなら、壇上でマイクを持って言うべきだ」。こういった思いを胸に彼はギタコンを手に取り、合間を縫って限られた時間でスコア勝負の場に降り立った。
栗坊さんが参戦を決め、加えてぎるたんが2位に浮上した時点で、俺は不利な立場に追い込まれた。
これは当時こりつさんが主催していた、ギタドラの非公式weekly rankingの結果一覧だ。見ての通り、オバドラ期は栗坊さんが1位をほぼ独占。俺は常にひっそりと2位につけ、栗坊さんの隣だけは誰にも渡さないという形で悦に入っていた。
そんな中、突如頭角を現わしたのがたっくみんだ。
The 4th KAC予選で8位に入り、補欠として決勝会場に来るという形で俺との面識ができた彼は、すぐさま貪欲に遅延の知識を求めて連絡を入れてきた。俺は喜んで知識を与えたのだが……
まさか彼が、遅延において前人未踏の領域にまで到達するとは予想だにしていなかった。
その詳細は後ほど語ることにする。
当時の現役プレイヤーにおける遅延界での序列が明確にたっくみん>栗坊さん>讃岐うどん屋さんであり、そして決勝4枠のうち遅延枠が2枠となった段階で、俺が正攻法で決勝進出を目指すのは厳しくなった。
それに加えて、この年は他にも逆風が吹いていた。
コロナ禍の今もなお新倉敷で頑張り続けているゲームセンター、「ファンタジスタ」。
ここには今や香川・岡山で1台限りとなってしまった、ギタドラの白筐体が設置されている。その白筐体に、The 5th KAC予選開始と時を同じくして撤去の危機が訪れたのだ。
ここの白筐体が撤去されてしまえば、予選を通過できたとしても、決勝のための白筐体での練習が全くできなくなる。何としてでも設置し続けていただくために、俺はすぐさま店長に直談判に行き、ひたすらクレジットを入れ続けることを宣言し、そして実行した。
リスキーを存分に活用し、おそらく年末年始の10日間で、500クレ近く注ぎ込んだと思う。その甲斐あって上記の通り、白筐体を存続させていただくことには成功した。願いを聞き入れてくれた店長の判断に感謝するばかりである。
しかし、その代償は大きかった。
そもそも当時の俺の目標は「優勝」だったし、予選開始時点では何人がSkyscraper紫Gを倒すかもわからなかったから、6曲とりあえずエクセを揃えて暫定1位に座った時点から、紫Gの特訓は始めていた。
白筐体へのお布施のために、ペース配分を度外視した休息無しでのプレーを続け、睡眠時間も削りながら、Skyscraper紫Gという己の力量を遙かに超えた難譜面への粘着を敢行する。
どう考えても無理しすぎであり、その結果は「ばね指の発症」となって返ってきた。
ある朝起きてみたら右手中指がピンと強直した状態で固まり、少しも動かせない。恐る恐る屈曲を試みるも、少し曲げただけで激痛が走る。やっとの思いで曲げきった所から再度伸ばしてみると、「バチッ!」という音を立てて強直状態に戻る。
人間の体が思い通りに動いてくれるというのは、当たり前のことではないんだとその時思い知った。今でこそばね指とのうまいつきあい方を覚えたが、初発当時は引退もやむなしかと思い絶望を覚えたものだ。
持てる医学知識を総動員して早期回復を図り、消炎鎮痛薬の局所注射もしてもらい、サポーターも使って何とか予選のプレーを続行できる状態を作りはしたが、ばね指の症状そのものは予選終了まで治癒しなかった。
というわけでThe 5th KAC予選終盤における俺の状況を整理すると、まず遅延の実力を鑑みて、死力を尽くした殴り合いになれば勝算は薄い。加えてコンディションも悪く、実力差を努力でひっくり返しにいくのも難しい。
この状態でとれる最善の策として、ギリギリ栗坊さんから突き放されない水準のスコアを保って低空飛行でついていき、「できるだけ本気を出させない」ように努めてボーダーラインをコントロールしながら、最終日に全てを賭けて差し切るという道を俺は選んだ。
そして、1月21日。
予選最終日
1月20日夕方の時点では、栗坊さんのスコアは「101144027」。俺から見ると、余裕を持って差し切れるものだった。しかしその夜、栗坊さんは最後の力を発揮し、スコアを伸ばしてきた。
深夜の更新を経て夜明けに反映されたその点数は、「101156737」。最終日に俺が抜けるかどうかわからない、ちょうどギリギリのラインだった。
1月21日は木曜日。栗坊さん、ぴこ君は午前0時の時点で、もうこれ以上スコアは伸ばせない旨を宣言。対する俺は完全にこの日に照準を合わせ、半休をとっていた。
ばね指発症後は最小限のプレー頻度に抑え、できる限り戻したコンディションと痛み止め、そしてテーピングを携えて、14時に俺はファンタジスタへ到着し、勝負の4時間を迎えることとなった。
Street For Student、EVIL OGRE、CHIMERAについては、20日までに本気で詰めておいた。一方ATSUIとSkyscraper紫B、DEMON SLAYER紫Bについては伸びる余地を残しており、まずは最も低い水準で放置していたATSUIから取りかかることにした。
ダブルブーストを3つ入れることに早々に成功し、21日15時の反映時点での暫定スコアは上記のものとなった。1億点のスケールで争っている中での、わずか732点差。KACスコアはレベルが乗算されているから、曲別スコアにして約100点の差である。
そしてこの条件下で、栗坊さんは俺に向けて声援を送ってきた。この心境に至れる他の音ゲーマーを、少なくとも俺は知らない。栗坊さんのこの人間としての器の大きさが、残り3時間の予選の行く先を決定づけることになる。
俺は癖とかチキン切りとか、そういう類の弱さから最も遠い位置にいるプレイヤーだと自負している。KAC予選では更新ペースでアウトロに至れば確実に仕留め切り、決勝ラウンドでは持てる力を余すことなく一発勝負に反映させる。
それを可能にしているのは、1ノーツ単位で詰めに詰め切った対策と、その努力に裏打ちされた自信。そして何より、勝負となれば相手を殺すつもりで筐体に向かう、闘争心と集中力。
それらをもってすれば、摩天楼紫Bのアウトロでグレることなど本来ありえない。一回はラストの「テーテレテレテレテッ!」でグレが出た。階段でも何でもない、ただの二連滝だ。
予選最後の枠を栗坊さんと直接争ったこの年だけは、心底からの殺意をもって最後まで闘いに臨むことができなかった。
手負いの身では、決勝進出したとしても優勝できる望みは限りなく低い。栗坊さんのプレースタイルがKAC決勝の壇上で披露されれば、ギタフリ界全体にとってプラスになるだろう。2013・4thと連続で準優勝に終わった俺がまた壇上に立ってまた負けるよりも、そちらの方が遙かに良い。
これまでの栗坊さんとの濃密な思い出も脳裏をよぎる。そもそもこの予選、俺は勝つために搦め手に走った。お互いが正面からぶつかっていれば、絶対に栗坊さんのスコアは今よりも高く、俺に勝ち目はない。そして俺の姦計が功を奏し、予選終了3時間前に崖っぷちに追い詰められてさえ、なおもこの人は敵であるはずの俺にエールを送ってきている。
全ての要素が絡み合って、まず俺の計算を狂わせた。KACスコアの点差は、732。DEMON SLAYER紫Bのレベルは、7.80。そして俺の曲別スコアは、「理論値 -100」だった。
DEMON SLAYER紫BにはBYP同時押しのロングノーツからRに飛んで16分運指が始まる箇所があり、そこに短猶予のZ遅延が絡んでいて複合的なギタコン操作が求められる関係上、ロングノーツを早く離してしまって100点を落としやすい箇所があった。
俺のスコアが100点落ちだったのは、そのため。栗坊さんのスコアはZ理論値超えが1ヶ所入った真理論値からの100点落ちであり、おそらく同じ場所でロングノーツ分をミスっている。一方たっくみんは真理論値だ。
つまり15時のスコアを見た段階での俺の最善手は、「デモスレ紫Bに粘着し、ロングノーツに注意して、3時間以内に理論値をとる」ことだった。それを達成すれば、KACスコアを780点伸ばして4位奪回に成功する。
デモスレ紫Bの難所は上記の短猶予Z以外には2ヶ所のダブルブーストのみであり、16分に絡んでいることもあって決して簡単ではないが、エクセ難度も加味すればSkyscraper紫Bのスコアを伸ばすよりも遙かに望みがあった。
例えるなら、けーえむさんかまっちゃんに向かって「オプション何でもいいから3時間以内にobsession紫Gでエクセを出してください」とお願いするぐらいの難度のミッションだ。確実に達成できるかどうかはわからないが、「できる」方に張る人が過半数だろう。
その道を俺は選ばなかった。何故か。別に手心を加えたわけではない。
デモスレ紫Bのレベルが7.30だと思い込んでいたのだ。
そして、レベルを確認することもしなかった。「100点伸ばしても2点差で負けるから意味無いな~」と思い込み、Skyscraper以外に選択肢はないという結論に至った。
普段の俺なら、こんなミスは絶対にしない。いくらレベル7.30だと思い込んでいても、相手を殺せる全ての選択肢を吟味するために絶対に目視で確認を入れ、レベルが7.80であることに気づいていただろう。
つまり、相手がもし栗坊さんではなく、「栗坊さんと同じスコアを出した他の誰か」であれば、俺は入念に戦略を練り直し、Skyscraperではなくデモスレを選ぶ道に気づき、48点差で決勝に進出できていた可能性が高い。
これは決して、わざと負けたとか、油断させられたとか、そういった類の矮小なことを言いたいわけではない。負け惜しみを言いたいわけでもない。
栗坊さんという人間の持つ、卓越したギタフリのスコア力と、前日に最後の力を振り絞り、また常にエンターテイナーとしてのプレースタイルを見せ続ける愛情と、窮地に陥っても全く陰らない人徳の深さ。
その全てに対して、俺という人間もまた、全てを尽くして計略と力とをぶつけていった。そして、ついに勝つことができなかった。
結局732点差から動くことなく終結したこの闘いは、そういうものだった。
これがThe 5th KAC予選ギタフリ部門の最終結果。各人のスコアを見てもらえれば、遅延枠のボーダーを争った栗坊さんと俺、そしてぴこ君の争いが、いかに肉薄したつばぜり合いであったかが一目瞭然だ。そして際立つのが、「たっくみん」という男の異常さである。
いかに栗坊さんが多忙であり、いかに俺が怪我をしていたとはいえ、互いに知略と死力を尽くし、決勝進出を目指してギリギリまで争ったスコア。732点差で終結し、6位のぴこ君とは23000点差という決着となった中で、たっくみんは栗坊さんに10万点近い差をつけて3位通過を決めているのだ。
決してSkyscraper紫Gで点を稼いだわけではない。この10万点は純粋に、栗坊さんと讃岐うどん屋さんという従来の遅延界の二大巨頭に対して、遅延でたっくみんが上回ったスコアの幅である。
彼はボーダーラインを争っていたわけでもないから、全力を尽くす必要もない。まだまだ余裕を残していたであろうその条件下で、俺たちを軽くひねり潰すスコアを叩き出されてしまった。
彼が急成長した2015年半ばの時期、俺は仕事が忙しくて少しギタフリから離れていたから、詳しい経緯は知らない。俺が目を離していた隙に、こりつさんのGITADORA weeklyという揺り籠の中で、怪物が誕生していたということだけ知っている。
今では本気で遅延をやりこむトップランカーも増え、ぴこ君やしょごちゃん辺りには普通にスコアで負けることもある。しかしながら、KAC予選の場において死力を尽くしても絶対に勝てないと俺が確信しているのは、今のところ全盛期のななろくさんと、たっくみんだけだ。
The 5th KAC決勝
この年の決勝に関しては俺は傍観者の立場なので、結果のみを簡潔に語ろう。
決勝トーナメントの組み合わせ。
ぎるたんの無慈悲なMODEL DD10が生粋のリセッターである栗坊さんにぶっ刺さる結果に。
しかしながら、この2人の楽しそうなプレーの様子と抱擁を見れば、「栗坊さんが壇上に上がることがギタフリ界にとってプラスである」という理由がわかってもらえるだろう。
準決勝第2試合は、こんな感じ。タイミングの関係で切れてしまっているが、ダークネスの方もにるなっつが圧倒している。
MODEL DD11正規でSを出しておいて「失敗した」と言っている辺りが本当に恐ろしい。
試合後の抱擁は欠かさない。
優勝経験者2人の激突となった最終決勝の曲目はアイゼンプラッテと、初見のブレイズ。
レベル高すぎひん?
そして栄冠は、(´・ω・`)の頭上に輝いた。
最後まで仲良し!
結語
2016年1月21日、予選終了直後。
最後まで、スコアを伸ばせなかった。KACで予選敗退したのは、俺にとってこの年が初めてのことだった。
そのことに関して、大きなショックは受けていないつもりだった。ただ、ちょっと力を出し過ぎて疲れていたので、ファンタジスタの向かいのカラオケボックスに1人で入って、休憩をとることにした。
歌を入れることはなく、ただボーッとする。Twitterにすぐに書き込む気も起きない。
そこにかかってきたのが、栗さんからの電話だった。
会話の内容に、特に意味はない。ただただお互いの感情を示すやり取りだけを交わして、
珍しく、俺は涙を流して泣いた。
この時俺が5位に沈んだことが、第1回GuitarFreaks Top 16’s Playoff開催のきっかけとなった。
以前ある人から、「カイさんだからプレーオフ開催にみんなついてくるんですよ」と言われたことがある。
俺にしか開けないイベントだとは、決して思わない。ただ、準優勝という、勝利と敗北とを共に手にしたポジションを2回経験し、そしてこの年逆ボーダーに沈んだ俺だからこそ、プレーオフを開こうという発想に至り、そして16位までの全員が応じてくれたという側面もあるだろう。
にるなっつの、当時たった1人しかいなかったSkyscraper紫Gフルコン。ぎるたんの、「ここしかない」位置での1切り。元々遅延勢ではなかったたっくみんの、1年での急成長。栗坊さんとの死闘。そして、1億分の732点差でつけられた決着。
この時起きた全ての事象について、俺は、偶然の符合だとはどうしても思えない。
総括として、The 5th KACは俺にとって、「ギターフリークスが一番上手い人を決めるイベント」ではなく。まるでギタフリの神様が世界に描いた、一枚の油絵のような。
そして今、2020年12月31日。いや、遅刻癖のある俺のことなので、ちょっと過ぎてしまったけれど。
栗坊さんの34回目の誕生日に、この記事を捧げます。
ハッピーバースデー!
←続・ギタフリおじさんの長い話④ 続・ギタフリおじさんの長い話⑥に続く→
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