はじめに
どの音ゲーにおいても正規譜面での目標達成を阻む大きな壁となる要素、「癖」。
一つの曲の攻略を目指して粘着しすぎた時に出現すると言われており、一度癖がつくと練習を重ねるほどに悪化する地獄が始まる。
ランダムやスパランをかければ癖の恐怖からは基本的に開放されるが、段位認定、一部機種のKAC予選、そもそもランダムが存在しない機種などにおいて、癖に苦しんだ経験のある音ゲーマーは多いだろうと思う。
ここでは癖の定義を、「本来の自分なら捌ける難しさの譜面のはずなのに、粘着のし過ぎで脳や体が誤った手順に慣れてしまった結果、試行を繰り返せば繰り返すほどできなくなっていく現象」とする。
そしてその克服方法について、私の持論を述べたい。私はギタフリ専門ではあるが、他の音ゲーにもある程度応用のきく理論ではないかと考えている。
「癖」という言葉を使うな!
定義しておいていきなりでアレなのだが、私のギタフリにそもそも癖という単語は存在しない。皆が「癖」と呼ぶ現象が自分の身を襲った時、私はそれを「ヘタクソ」と呼ぶ。
これは単なる精神論ではなく、多分に技術的な領域を含んだ上でそういう言葉を選んでいる。
しかし技術的な領域については話が長くなるので後にとっておくとして、ここではまず精神面からこの解釈の意味を説明したい。
そもそも「癖」という単語は、言い訳だ。なぜ言い訳かというと、先ほど述べた通り、「本来の自分なら捌ける難しさの譜面なのに」という前提がその根っこにあるからだ。
本質的に自分ができない難しさの譜面に対して、人は謙虚だ。「難所」、「発狂」、「切り所」など呼び方は違えど、「癖」という言葉を使う時とは明らかに心理状態が異なるはずだ。
また傾向として、「癖」という単語を使う頻度は、上級者になればなるほど増えると思う。上級者とは「本来の自分ならできる譜面」の数が多い者のことであるから、この傾向は当然だ。
しかし私はこう思う。「本来の自分ならできる?今の『できない自分』を棚に上げて、本来の自分とか何言ってんの?」と。
いきなり過激な言葉遣いをしてしまったが、これは癖を克服するスタート地点に立つために、自分自身にかける暗示として必要なことなのだ。
実際の所、「癖という現象が存在しない」とは私は思わない。「本来の自分ならできる難しさの譜面なのに」という前提は、事象の捉え方としては正しい。
しかし、癖を克服しようと思うなら、その前提を深層心理に浮かべること自体が、百害あって一利無い。
癖という言葉を使っている限り、「できなくなる理由」はあくまで「癖」であり、そこで思考は停止してしまう。
ところで一般的な癖対策としては、放置するとか、そもそも正規に粘着しないとかいう手段が提唱されている。
それらは手段としては正しいが、消極的解決策に過ぎない。
そういった消極的解決策では、「癖」という怪物を本当の意味で打ち倒すことはできない。あくまで「癖」が機嫌を直して、どこかに去ってくれるのをじっと待っているだけだ。
もちろん、そういう策だけで十分だというプレイヤーも多いだろう。しかし私は困るのだ。困るがゆえに、「癖」を正面から倒す方法を、何年もかけて考えてきた。
そして私は、癖という言葉を絶対に使わない。使わないがゆえに、「癖」という単語のベールに隠されていた、「できなくなる理由」を真摯に探求しようという姿勢が生まれる。
そうなって初めて、癖を克服するスタート地点に立てる。
なお蛇足ではあるが、「癖」という単語を口にする時に、「本来の自分ならできるのに」という前提が無い場合、それは「癖」ではなく「地力不足」です。イチから修行を積みましょう。
その2に続きます。
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